パリ五輪代表・佐藤恵允インタビュー 久保建英は同世代の「とんでもないヤツ」 (3ページ目)

  • 了戒美子●取材・文 text by Ryokai Yoshiko

【大卒は世界的に見ると若くないから...】

── 自分がオリンピック世代だということは、いつ頃から意識していました?

「それはもう、大岩ジャパンが発足して初めて選ばれた時、大岩さんはずっとオリンピックの話をしていたので、オリンピック世代なんだって自覚しました」

── サッカー選手として、オリンピックをどのように捉えています?

「いろんな競技においても、自分の人生でオリンピックに出場するという経験がある人のほうが少ないですよね。だからその大会に参加できるというのは、すごく特別だと思っています。人生における功績というか、誇れるものなので、僕はオリンピックに対しての気持ちがけっこう強かったと思っています」

── 昨年の夏にブレーメンに移籍した時、すでにオリンピックを意識していました?

「はい、していました」

── セカンドチームでのプレーが前提だったので、リスクのある移籍にも感じました。

「大学を卒業してそのまま海外って、ほとんど博打(ばくち)じゃないですか。Jリーグに行く手段もあったし、リスクがあることもわかっていたんです。でも、海外で活躍したい気持ちが強かったので、一番近い道は何だろうって考えた時、ブレーメンのセカンドチームですけど、そこで活躍すれば(トップチームは)ブンデス1部。そう考えたので、海外行きを決断しました」

── 周りの声はどうでした?

「うーん、どうだろう。意外と周りも『海外、いいんじゃない?』って言ってくれる人のほうが多かったと思います」

── 海外への抵抗がない世代?

「大卒ってやっぱり、世界的に見ると、もう若くない年齢です。だから(国内でプロになるより)海外に行けるなら行って、そこで活躍するのが一番早いので、年齢的にも海外かなと思いました」

── 失敗を考えたことは?

「もちろん、ありましたよ。博打とは思っていましたが、それ自体も受け入れて挑戦したいという気持ちでした。でも、失敗することは正直、あまり考えてなかったかもしれません(笑)」

(つづく)

◆佐藤恵允・後編>>SNSのアンチコメントには屈しない「評価をひっくり返したい」


【profile】
佐藤恵允(さとう・けいん)
2001年7月11日生まれ、東京都世田谷区出身。コロンビア人の父と日本人の母との間に生まれ、兄の影響で5歳からサッカーを始める。実践学園高校から明治大学に進学し、フィジカル強化によって大学屈指のFWに成長。大学2年時に年代別日本代表に初選出され、4年時の2023年7月に明治大サッカー部を退部してドイツ1部ブレーメンへ移籍。ブレーメンU-23からトップチーム定着を目指す。ポジション=FW。身長178cm、体重75kg。

プロフィール

  • 了戒美子

    了戒美子 (りょうかい・よしこ)

    1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。

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