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1993年のW杯アジア最終予選、大一番の韓国戦で吉田光範が開始5分で「勝てる」と思ったわけ (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 吉田のアシストから生まれた貴重な1点を日本は守りきり、宿敵・韓国に快勝。勝ち点5でサウジアラビアと並んで、得失点差でトップに躍り出た。

 カズは予選突破に大きく前進した勝利に男泣きした。大一番での勝利にチームは沸いていた。だが、ラモスだけは厳しい表情を見せた。「まだ何も終わっていない。何も得ていない」と言い放ってバスに乗り込んだ。

「僕もラモスさんと同じ気持ちでした。韓国に勝ってW杯のチケットを手に入れたわけではないですし、『アメリカが見えた』とか、まったく思わなかったです。それよりも、次のイラク戦までに体のメンテナンスをしっかりしないと、ヤバいことになるって思っていました」

 誰かを試すといった余裕がないほど厳しい戦いが続いたこともあるが、オフトはスタメンをほぼ固定して戦った。初戦のサウジアラビア戦から中2日、あるいは中3日で4戦をこなした主力選手たちは、高温多湿の条件も重なって疲労困憊だった。

 吉田も途中交代した2戦目のイラン戦以外は、すべて先発フル出場。運動量が求められるポジションゆえ、体の深部に重たい疲労が溜まっているのを感じていた。

「韓国戦は一瞬も気が抜けない厳しいゲームだったので、かなり疲れました。次のイラク戦まで中2日。それまでにいかにリカバリーできるかが重要だったので、その日は食事をしたら、すぐにマッサージをして体をほぐしてもらいました。その後は、みんながビデオとかを見て、くつろいでいた部屋には行かず、そのまま部屋に戻って寝ていました」

 疲弊した体を何とか動かしていたのは、あとひとつ勝てばW杯に行ける――その思いだけだった、と吉田は言う。

 食事の際も、「あとひとつ勝ってアメリカに行こう!」と声が響いた。チームのモチベーションが高く、やる気に満ちていた。吉田も、このチームで戦える最後の試合にすべてをぶつける覚悟でいた。

 1993年10月28日、イラク戦が始まった。勝てば、W杯初出場が決まる重要な試合。日本は前半5分にカズが先制ゴールを決め、いい流れで前半を終えた。

「早い時間の得点だったんですけど、早々にアドバンテージを得たことで試合を優位に進められるので、非常に大きかったです」

 しかしそんな思いとは裏腹に、吉田はそれまでの戦いとは異なる、自分の動きに違和感を覚えていた。

「イラクはそれまでの試合に出ていない選手が多く、フレッシュな状態で、スピード感のある攻撃を仕掛けてきたんです。僕らはそれに対応しようとしていたんですが、頭ではこう動こう思っても、それより一歩、二歩(自分の動きが)遅れるというか、加速できないというか、(自分の思いよりも)足が遅れて動く感じだったんです。

 みんなも体があまり動かない感じで、結構キツそうでした。最終予選が始まって5試合目で、自分も含めてみんな、激戦の疲労がかなり蓄積されているんだなと思いました」

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