1993年のW杯アジア最終予選、大一番の韓国戦で吉田光範が開始5分で「勝てる」と思ったわけ (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 日本はシステムと人選がうまくハマり、吉田は自分たちが攻守に隙なくプレーできていることを実感していた。

「この韓国戦もそうなんですけど、最終的にはキーちゃんとか、健太が出てプレーしている試合では結果が出ているんです。ほかの選手がダメということではなく、組み合わせとして、そういうほうがよかったんです。

 特にキーちゃんはよかった。僕の前でアグレッシブに動いてくれるんで、守備がすごくラクになりましたし、攻撃に転じる際も前にいくスピードがありました。攻守に頼りになる存在で、僕は好きでした」

 日本は中盤を制圧することで「苦しい試合になる」という戦前の評価を覆して、試合の主導権を握っていた。

 試合が動いたのは後半だった。

 後半15分、ラモスがボールを奪うと、ちょこんと左サイドのスペースへ出した。そこにいたのは、吉田だった。

「あの時、プレスにいって前に残っていたんですが、ラモスさんから『そこに出すよ』みたいな感じで、心地いいパスがポンッと出てきたんです。中を見たらカズが見えたので、あとは(そこへボールを)出すだけでした」

 吉田からのクロスは軌道といい、スピードといい、完璧だった。そのせいか、カズのシュートは一度、不発に終わる。しかし、こぼれ球が長谷川に当たって、再びカズの前にこぼれてきた。それに素早く反応して、右足で押し込んだ。

「よく決めましたよね(笑)。さすがカズだな、エースだなと思いました。

 カズはこの代表がスタートした当時、下がってボールをもらいにくることが多かったんです。それである時、ミーティングでオフトが『日本で一番危険な選手はおまえなんだから、ペナルティーエリア近くにおまえがいたほうが相手には脅威になる』とカズに言ったんです。

 同時に、カズがゴールに専念できるようにするには、僕らがいいタイミングでボールを出していかなければいけない。僕はFWをしていた経験があったので、カズの気持ちがわかったし、いかにいいボールを(カズに)供給できるかを徹底的に考えていました。

 ですから、大事な試合で、映像と記憶に残るゴールをアシストできたことはうれしかったです」

 もともとFWだった吉田は、ゴールへの意識が高い。それを思えば、「自分が」と考えてもおかしくないが、当時の吉田にはそういった考えは一切なかった。

「僕はドリブルとかが苦手なので、その苦手な部分を出さないように、(ボールを奪ったら)ラモスさんに早くつけたり、すぐに前線の選手にパスを入れたりしていました(笑)。ペナルティーエリア内に入っていくスピードも落ちていましたからね。

 僕の下手なプレーとか、誰も見たいと思わないですよ。だから"自分が"というより、自分のやれることをやっていました」

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