70歳を迎えたジーコが振り返る、ジーコジャパンで「最もエモーショナルだった」試合 強い日本代表はあの試合から始まった (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【日本は偶然、ドイツに勝ったわけではない】

 祝ったのはブラジル人だけではない。ジーコが83年から85年までプレーしていたイタリアのウディネーゼサポーターもはるばる海を越えやってきた。彼らはただジーコに「おめでとう」と言いたかったのだという。彼らはジーコの家の前でチャントを歌っていた。それを見たジーコは「君たちは本当にクレイジーだ」と、笑顔で家から出てくると、彼らを招き入れ、パーティーにも呼んでくれた。

 会場には70人近くの記者も押しかけ、即席の記者会見も行なわれた。誕生日プレゼントに何がほしいかと聞かれるとジーコはこう答えた。

「プレゼントはもう十分受け取っているよ。70歳を迎えられたこと、この日を健康で過ごせたことだ。ここ1年、関節の痛みに苦しめられたが、今はこうして普通に歩いたり、孫と遊んだりすることもできる。そして何より好きなことをして生きてこられたこと。それができる人はそうは多くないと思う」

 70年のなかで最もすばらしい思い出について聞かれると、フラメンゴでの多くの勝利やブラジル代表での活躍に加えて、日本での出来事もあげていた。

「私が日本と出会った時、かの国にはまだサッカーというものがほとんどなかった。それがどうだ、今は世界中からリスペクトされる国になっている。これはかけがえのない体験だ」

 そんなジーコが、あらためてジーコジャパンの時代を振り返った。
                                  
2002年から2006年まで日本代表監督を務めたジーコ photo by Fujita Masato2002年から2006年まで日本代表監督を務めたジーコ photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る 日本代表はカタールW杯の初戦でドイツを破り、世界を驚かせた。この日の日本は津波のようだった。ドイツを飲み込み、破壊した。それほど後半の日本は、かなりの時間、完ぺきだった。闘志を持ち、何より自分たちの力を信じてプレーする日本を見ることは、私にとって大きな喜びでもあった。

 日本は決して偶然ドイツに勝ったわけではない。ずっとずっと続けてきた努力が実を結んだ結果だ。そのことはその後のスペイン戦でも証明された。その過程のなかに私の力添えが少しでも入っているとしたら、本当に幸せだ。

 私も日本代表を率いてドイツと、彼らのホームで戦った経験がある。それはある意味で画期的な一戦だった。

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