ジーコが語った20年前の日本代表 「中田英寿、中村俊輔...日本には4人の大黒柱がいた」
ジーコインタビュー(後編)
今から思えば、2006年のドイツ戦から、日本の人々は自分たちの代表を信じるようになり、サポーターは笑顔になり、メディアはチームの真のポテンシャルを理解するようになったのではないか。そして何より選手たち自身が、W杯で戦う自信を持てるようになった。皆が予想していたより、日本ははるかに実力があることがわかったのだ。
そのことに気がついたのは、日本だけでなく、世界も同じだった。たとえば、トルコリーグのフェネルバフチェが私を監督に呼ぼうと思ったのも、あのドイツ戦を見てのことだった。のちにクラブの幹部のひとりが私にそう教えてくれた。
実はあのドイツ戦が行なわれたスタジアムには、フェネルバフチェの会長が来ていたのだという。彼は、私が率いる日本代表のポテンシャルに驚き、日本代表に恋をしたという。そして自分のチームでもそれを実現させたいと強く思ったのだそうだ。だから私は、あのときの代表選手たちに、そして彼らの献身と闘志に、大いに感謝の気持ちを持っている。
「日本代表時代が私の監督人生の頂点だったか」と、よく聞かれる。私にはそれに何と答えていいかわからない。ただ、私の人生のなかで非常に重要な時代であったことは確かだ。私にとっても、私の家族にとっても、そして日本のサッカーにとっても。
2006年のドイツW杯予選で、日本は歴史的快挙を達成した。世界で最初にドイツ行きの切符を手にしたのだ。また私のサムライたちは、予選(2次予選と3次予選)12試合で11勝を記録、日本のサッカーのテレビ放送の最高視聴率の記録を何度も塗り替えた。本当に多くの人が日本代表の試合を見てくれるようになった。
2006年ドイツW杯アジア予選で日本代表を率いたジーコ photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る 我々はアップグレードした日本代表だった。世界レベルのサッカーとは何かを知り、そして日本がそこにたどり着きつつあることを、この頃から日本のサポーターやメディアは気づき始めたのではないかと思う。そしてそれは男子のサッカーだけでなく、次第に女子やユース世代にも広がっていった。
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