ジーコが語った20年前の日本代表 「中田英寿、中村俊輔...日本には4人の大黒柱がいた」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【喜びと誇りを感じた瞬間】

 この時以降、日本サッカーは常に高いレベルにあり続けている。今の日本代表は世界の強豪を向こうにしても、恐れることなく戦うことを、そして彼らを破るのは決して不可能ではないことを、世界が知っている。カタールW杯の日本代表はまさにそれを証明した。

 ドイツW杯本番では、結果は1分け2敗だったが、日本は選手個々の、そしてチームとしての成長ぶりを見せた。

 ドイツから帰ってきてからと、その前では、すべてが違っていた。我々は胸を張って国に帰った。天皇陛下からも直々にお褒めの言葉をいただくという栄誉に浴した。

 私は外国人だが、心の半分は日本にある。日本中がこのように温かく我々を迎えてくれたことに、私はひどく興奮した。プロリーグが始まる前からの日本を知っていた私は、ついにサッカーが、この国全体に喜びと誇りをもたらすことができるようになったと感動した。それはどんなに言葉を尽くしても、言い表せないものだった。

 リオデジャネイロ郊外のごく普通の家庭に生まれた私が、日本のチームを代表して天皇陛下の前に立ったことは、私の人生も変えた。私はそれまで以上に日本という国と人々を愛するようになった。日本代表を率いた外国人監督のなかで、最も多く勝利を挙げたのが私だと知った時の喜びと誇りは、生涯、忘れないだろう。祖国や家族から遠く離れ、多くのことを犠牲にしたが、それだけのことはあったと感じた瞬間だった。

 日本代表と練習するすべての時間が、試合のすべてが、選手やコーチたちとともに過ごす時間が、私にとっての贈り物だった。日本は彼らの一番大事なチームを私に任せてくれて、W杯でチームを率いる栄誉を与えてくれた。私こそ日本の皆さんにお礼を言うべきだろう。

 2002年から私が率いた日本代表チームについて振り返ると、そこには非常に強い大黒柱があった。私はこの柱を打ち立てるのかなりの時間を割き、この柱を中心にチーム作りをした。この大黒柱があったからこそ、他の選手たちは落ち着いてプレーすることができた。この柱は想像力が非常に高く、ボール保持率も高い選手からなっていて、チームには重要な存在だった。

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