【スペシャル鼎談】中村俊輔×中村憲剛×佐藤寿人「俊さんにどうしても聞きたかったこと」 (2ページ目)
俊輔 なんで?
寿人 2007年にヨーロッパ遠征があったじゃないですか。その時に地元のクラブと練習試合をして、僕は3点取ったんですよ。俊さんからパスをもらって決めたゴールもあったので、褒められると思ったら、ダメ出しされたんです。「お前さ、俺が出せる状況になってから動いてるじゃん」って。
たしかにその時の僕はそういう感じだったんですけど、それだと世界には通用しないということなんでしょうね。「お前がほしいタイミングでほしい場所に動いて、それに対して出すか出さないかは俺が決めるから、自分発信で動いてくれ」って。それがものすごく衝撃的でしたね。
俊輔 怖い先輩だな。そんなこと言った?
寿人 言いましたよ(笑)。それで、クラブに持ち帰って、青山に俊さんに言われたことを伝えたんです。「自分のタイミングで動くから、最終的に出すか、出さないかはお前が決断してくれ」って。それを意識させたことで彼は徐々によくなっていったんです。
あと、俊さんと憲剛くんのプレーの映像を見てほしいとも伝えていました。あのふたりはゴールに直結するパスを出せる選手だからって。だから、青山が成長できたのは僕の要求というよりも、ふたりの存在があったからなんですよね。俊さんは覚えていませんでしたが(笑)。
憲剛 見事に覚えていなかった(笑)。
俊輔 俺、そういうこと、いろんな選手に言ってるのかな?
憲剛 たぶん、そうだと思いますよ。
俊輔 自分の生命線だからね、FWは。ヤナギさん(柳沢敦)が俺にそうさせてくれた。何かを言ってくるわけじゃなくて、何回も、何回も動き回る。動き出しが速いし、駆け引きもずっとやっているから、こっちが常に見ていないと動きが把握できない。そこで成長させてもらったよね。
―― 憲剛さんと俊輔さんのファーストコンタクトは、どんな感じだったんですか?
憲剛 僕は俊さんの桐光学園時代から見ていますからね。学年的には僕が1年生時の3年生で。もちろん対戦したことはありませんけど、ワールドユースも見ていたんで、こちらからするとテレビの中の人ですよ。2個上でこんな人がいるのかと。苗字が同じなので、勝手に意識していた部分もちょっとありました。そこを目指すという意味では、勝手にライバルだとも思っていましたね。
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