日本代表にもしあの時、彼がいたら...。W杯メンバーから落選した名手たちの系譜

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Press Association /AFLO

W杯に出場することはなかった伊東輝悦。現在もアスルクラロ沼津でプレーしているW杯に出場することはなかった伊東輝悦。現在もアスルクラロ沼津でプレーしているこの記事に関連する写真を見る 1998年フランスW杯に初出場して以来、日本代表は今回のカタールW杯で7回連続7度目の本大会出場となるが、毎度この時期、関心を集めるのが本大会を戦う最終メンバーの選考だ。

 他の競技とは異なり、選手の優劣を示す客観的なデータが、サッカーは極端に少ない。その当落が、監督の胸のひとつで決まるところに残酷さが垣間見える。サッカー選手にとってW杯は夢の舞台。惜しくも落選した選手にとって、その決定を下した代表監督は、これ以上ない恨めしい存在であるに違いない。

 カズこと三浦知良が、1998年大会で自らを落選させた当時の監督、岡田武史氏に対してどのような感情を抱いているか、知る由もない。だが第三者の目には、かなり残酷な仕打ちに見えた。

 落選については、ほぼ同意する。アジア最終予選を戦うなかで、カズのパフォーマンスは急降下。落選やむなしと言いたくなる状態まで落ち込んでいた。

 それでも岡田監督は、フランスに向けて出発するメンバーにカズを選んだ。フランスまで帯同させ、最後の最後に落選を伝えた。W杯の開幕直前に現地から帰国の途に就くことになったカズ。プライドを傷つけるようなそのやり方には、筆者も納得がいかなかった。日本代表をW杯出場レベルまで押し上げた功労者に対し、もう少し敬意を払うべきではなかったか。外すにしても外し方があったのではないか、と。

 もっとも当時の岡田監督に、そうした振る舞いができないことも、当然といえば当然だった。そのわずか半年前、加茂周監督の解任に伴いコーチから内部昇格したばかりの新米監督である。いま振り返ると、そんな経験不足の監督を立てて、よく初出場のW杯に臨んだものだと驚かされる。カズが本番直前、哀れにも現地から帰国する姿に、日本サッカー協会の経験不足が剥き出しとなって表れていた。

 もうひとり、有名な落選者は中村俊輔だ。フィリップ・トルシエ監督で臨んだ2002年日韓共催W杯で起きた話である。だが、中村はその時23歳と若く、次回の2006年に加え2010年にもメンバーに選ばれている。29歳で落選したカズに比べて余裕があった。残酷さで言えばカズのほうが上となるだろう。

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