羽生直剛の日本代表ベストゲーム。試合後「オシムさんが目を合わせて、うなずいてくれた」 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Jinten Sawada/AFLO

 もちろん、オシム監督自身から、みんなに練習の意図を伝えてくれ、と言われたことはない。それでも、羽生は「そうなるだろうな、っていう感じだったんじゃないですかね」と振り返る。

「練習の効率を上げるっていうのも、ひとつのタスクだなとは思っていたので。自分がチームをよくする存在でいたいという気持ちは、初めて選ばれた時からありました」

 それだけ羽生らの存在は、日本代表において貴重だったということだが、当の本人にしてみれば、初招集以降、コンスタントに選出されるようになってもなお、ただただ必死に毎日を過ごすのみだった。

「練習でも、試合でも、その日のミッションをやり遂げ、日本代表にふさわしいパフォーマンスができるかどうか。僕はそれだけを考えてやっていました」

 そして迎えたコロンビア戦。羽生がこの試合をベストゲームに選んだのは、試合そのものだけでなく、前段階の出来事が強く印象に残っているからだ。

「僕、そのゲーム、(日本代表選出を)辞退しようとしていたんです」

 引き金となったのは、コロンビア戦直前に行なわれたJ1第13節の対ガンバ大阪戦。千葉は前半に先制しながら、後半、羽生のミス(自陣ゴール前で味方に落としたボールを相手にさらわれ、そのままゴールに叩き込まれた)で同点に追いつかれると、立て続けに決勝点も許し、1-2の逆転負けを喫していた。

 しかも当時の千葉は、オシム監督が日本代表に"引き抜かれた"ことで、その息子であるアマル・オシム監督が後任に就いていたが、なかなか勝てない時期を過ごしていた。

 その最中、「自分が失点に絡むミスをして同点に追いつかれて、僕自身、感情的になっていたのもあるんですけど」、羽生はアマル監督のところへ行き、「自分は代表にいられるだけの選手じゃないので辞退したい、と言いました」。

「代表選手になれて、今でこそ幸せだと思うんですけど、やっぱり"オシムチルドレン"とかって言われているなかで、僕のプレーでオシムさんが批判されてしまう。そのプレッシャーがものすごくありました」

 話を聞いたアマル監督は、ひとまず羽生の言い分を引きとった。だが、次の日、改めて羽生を呼ぶと、「親父も意味があっておまえを呼んでいるんだから、行って来い」。そう伝え、こんな言葉を添えたという。

 背負った荷物を下ろすのは簡単だぞ――。

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