稲本潤一が20年前の日本代表メンバーを回想。バチバチのライバル関係や中村俊輔の落選など、どう感じていたのか (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

「うしろのことは任せておけ、という感じだったので、すごくやりやすかったですね。戸田さんとしては、特に守備の部分でもっとこう動いてほしいというのはあったのかもしれないですけど、そういう要求もあまりなく、運動量とバランスで僕の分までカバーしてくれていたので、本当に助かりました」

---- 何か具体的に言われていたことはあったのですか?

「『自由にやって大丈夫』みたいなことを言われていたと思います。もちろん僕も勝手に動いていたわけではなく、戸田さんの動きを見ながらプレーをしていましたけど、行けるタイミングでは迷わず行くことができた。それは戸田さんのカバーリング能力だったり、バランス感覚があったからできたことだと思っています」

---- ロシア戦の決勝ゴールは、FWのようなポジション取りでしたよね。

「そうですね。なぜそこにいる? というくらい、前に行っていましたから(笑)。戸田さんもそうですし、トップ下のヒデさんも僕の動きを見ながら、リスク管理のポジションを取ってくれていたおかげだと思います」

---- ちなみに、戸田選手は髪を赤く染めあげていたことでも注目されましたね。

「あれにはやられましたね(笑)。あの大会ではみんな目立ちたいから、茶髪とか金髪とかに染めてましたから。まあ、僕もそのひとりですけど。逆に黒のほうが目立ったかもしれないですね。そのなかで真っ赤に染めてきたのは、さすがだなと(笑)」

>>稲本潤一(後編)につづく>>中田英寿との関係性や「ピカイチ」と絶賛した選手との連係

【profile】
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)
1979年9月18日生まれ、大阪府堺市出身。1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格し、当時最年少の17歳6カ月でJリーグ初出場を果たす。2001年のアーセナル移籍を皮切りにヨーロッパで9年間プレーしたのち、2010年に川崎フロンターレに加入。その後、北海道コンサドーレ札幌→SC相模原を経て、2022年より関東サッカーリーグ1部・南葛SCに所属する。日本代表として2000年から2010年まで82試合に出場。ポジション=MF。181cm、77kg。

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