2022.06.23

稲本潤一が20年前の日本代表メンバーを回想。バチバチのライバル関係や中村俊輔の落選など、どう感じていたのか

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
稲本潤一インタビュー(前編)

 今から20年前に開催された日韓ワールドカップ。日本中に熱狂をもたらしたフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表のなかでも、ひと際輝きを放ったのは稲本潤一だ。

 当時22歳のワンダーボーイは、ベルギー戦で逆転ゴール、ロシア戦では決勝ゴールを奪い、日本の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。

 あれから20年の月日のなかで、すでにあの大会、あのゴールについては語り尽くされた感もある。しかし、節目の20年目に稲本に話を聞かないわけにはいかないだろう。

 そこで今回は角度を変え、自らのことではなく、当時の代表メンバーとの関係性と、知られざるエピソードを語ってもらった。

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日韓W杯時は金髪だった当時22歳の稲本潤一日韓W杯時は金髪だった当時22歳の稲本潤一 この記事に関連する写真を見る ---- 日韓ワールドカップの23人のメンバーが発表された時は、どういう心境でしたか?

「メンバー発表の時はアーセナルにいたので、直接見たわけではないです。誰かから聞いたんだとは思いますけど、落ちるイメージはなかったですね。ただ(中村)俊輔(横浜F・マリノス/当時、以下同)が入らなったり、高原(直泰/ジュビロ磐田)が病気(エコノミークラス症候群)になったり、いろんなことがあったので、驚きは多少ありました。

 特に俊輔が入らなかったのはびっくりしましたね。トップ下でやりたかったでしょうけど、ヒデさん(中田英寿/パルマ)という絶対的な存在がいましたから。トルシエ監督は左サイドで考えていたとは思いますけど、(小野)伸二(フェイエノールト)と俊輔で最後まで悩んだんだろうなと思います。僕自身はふたりとも入ると思っていたので、驚きはありましたね」

---- その一方で、中山雅史選手(磐田)と秋田豊選手(鹿島アントラーズ)が選出されるサプライズもありました。

「中山さんも秋田さんも、最初の頃はトルシエジャパンに入ってましたよね。だからサプライズというわけでもないと思いますけど、年齢的なバランスを考慮したんだろうなとは感じました。ふたりとも前回のワールドカップを経験していましたし、チームを盛り上げたり、士気を高めるという意味でも、ふたりの存在はすごく大きかったと思います」