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「チームはバラバラ」疑問と不安を抱えながらも奮闘。今野泰幸が自らの日本代表ベストゲームに挙げた意外な一戦 (5ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 今野は複雑な表情を浮かべ、言葉をつなぐ。

「やっぱり、そのぐらいチームとして雰囲気がよくなかったんで」

 今にして思えば、試合後の取材エリアで聞いた今野の言葉は、当時の率直な気持ちを表していたことがよくわかる。「連係もクソもない。ふだん一緒にプレーしていない選手とやるわけだから」。なかば吐き捨てるような言い方が印象的だった。

 日本代表はその後、無事にワールドカップ出場を決め、翌2018年にはロシアでベルギーを相手に歴史的名勝負を繰り広げることになる。今野もテレビの前で「勝ってほしいなっていう思いで、応援していました」。

 だが一方で、UAE戦をきっかけに「サッカー選手として、ちょっと欲は出てきた」のも確かだった。ベルギー戦を見ている時も、「自分もこの場にいたかったなっていう思いは、正直、ありました」。今野は微笑して本音を明かす。

 それでも、UAE戦での今野が「余裕もなかったし、いっぱいいっぱいになっていた部分もあったし。先のことはまったく考えられなかった」のは偽りのない事実だ。

「日本の窮地だったし、僕の頭のなかでは、"この1試合だけの長谷部の代役"でした」

 そう語る今野は、当時の自分に託された役割を「中継ぎ投手」にたとえた。

「野球で言ったら、ひとりだけ抑える中継ぎのピッチャーがいますよね。僕はそういう感じだったと思います。自分が呼ばれた試合だけは、とにかく全力でチームに貢献しよう、っていうことしか考えていませんでした」

 頼もしき必殺仕事人は鮮やかに"ワンポイントリリーフ"を務め上げると、受けたバトンを次へとつないだ。

「たぶん野球でも、ひとりを抑えるためだけに出てきて、それを抑えるって、めちゃくちゃ大変な仕事だと思います。僕はそれができたっていう感覚があるから、あの試合が自分のベストゲームかなって思うんです」

(つづく)

今野泰幸(こんの・やすゆき)
1983年1月25日生まれ。宮城県出身。ジュビロ磐田所属のMF。東北高卒業後、コンサドーレ札幌入り。以降、FC東京、ガンバ大阪でも奮闘した。2005年の初招集以来、日本代表でも長きにわたって活躍。2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会とW杯にも2度出場している。国際Aマッチ出場93試合、4得点。

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