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広島・佐々木翔が思い描く日本代表の左SB像。長友佑都と「同じではなく、自分のよさを出したい」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Getty Images

 その頃の広島は若手を中心に午前、午後の2部練習になっていた。佐々木はそのグループの最年長で戦術の理解度を深め、必要とされるタスクをマスターするために練習していたが、「めちゃくちゃキツかった」と言う。

「2部練は2、3年続いたんですが、そのおかげでレギュラーの選手との距離をどんどん詰めることができたので、僕にとっては非常に大きかったです」

 1年目、徐々に森保監督の要求に自分の持ち味をプラスしてプレーできるようになるとシーズンの後半には水本の負傷もあってスタメンで出場できるようになり、セカンドステージでは優勝に貢献、リーグチャンピオンにも輝いた。2年目のシーズンは、さらにスタメンでの出場回数を増やして、連覇に貢献するつもりだった。だが、4節(3月20日)の大宮アルディージャ戦で右膝前十字靭帯を断裂、全治8か月の重傷を負い、戦線を離脱した。

「ケガをした時は、なんでこの時期にケガなんか......これから輝く時期になるはずだったのにと思っていたんですが、やってしまったものはしょうがない。性格的にくよくよしないタイプなので、リハビリして早く復帰して、自分の力でポジションを取り戻せばいいやって思っていました」

 4月に手術をして、翌17年に完全復帰をするべくリハビリを続けた。だが、年明けの1月、練習中に同じ箇所を負傷。前十字靭帯再断裂となり、再建手術を受けた。

「2回目の時はキツかったですね。1年のリハビリだと体の感覚とか比較的早く戻るんですけど、2年空くとプレーしようとする時、頭と身体が一致しなくなるんです。たとえば頭では足を出しているつもりでも実際、かなり遅れて足を出しているんですよ。リハビリも大変でしたけど、そういう感覚を取り戻すのがめちゃくちゃ大変でした」

 2回目の手術をしてJISS(国立スポーツ科学センター)でリハビリをした。その中で、佐々木は同じ故障で苦しんでいるアスリートたちに出会った。

「僕は膝2回やってけっこう大変だなって思っていたらハンドボールの選手が2回やったとか、スキーの選手が3回目ですとか、そういう人がたくさんいたので、僕の2回なんて大したことないわって思いました。彼らとの出会いはすごく刺激的でした。とくに個人競技の選手はすごくストイックで、自分が一生懸命にやった分、成績に反映されるので、そういう人のトレーニングや姿勢を見ていると、自分ももっとやらないとという気持ちになりましたし、もっとやれることがたくさんあるなって思ってリハビリに取り組むことができました」

 佐々木は、2017年シーズンを無理せずにリハビリに当てた。そのシーズン中に森保監督が去り、18年に城福浩が監督に就任した。新監督の元での開幕戦、佐々木は左サイドバックとしてスタメン出場を果たし、706日ぶりの帰還を果たした。

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