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マイアミの奇跡から25年。伊東輝悦が振り返る得点シーン「ボールに触ろうかギリギリまで迷った」

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Jiji Photo

伊東輝悦(アスルクラロ沼津)インタビュー@前編

 1996年7月21日、日本がブラジルから大金星を挙げた「マイアミの奇跡」は、サッカーファンの垣根を超えて今も人々の間で語り継がれ、日本のオリンピック史における伝説のひとつとして数えられる。

 あれから25年。東京オリンピック開幕を目前に控えた今、あの伝説の試合で決勝ゴールを決めた伊東輝悦が、当時の思いを振り返ってくれた。

アトランタ五輪ブラジル戦で決勝ゴールを決めた伊東輝悦アトランタ五輪ブラジル戦で決勝ゴールを決めた伊東輝悦この記事に関連する写真を見る---- テレビ番組などで「マイアミの奇跡」の映像が流されるのは、もはやオリンピック前の風物詩になりました。そのことを当事者として、どのように受け止めていますか?

「あれがなかったら、こうした取材を受ける機会もなかったし、4年に1度、定期的にあの映像がテレビで流れることで僕のことを思い出してくれる人もいるわけだから、個人的には良い思い出になってますよ」

---- 当時の伊東選手にとって、オリンピックはどのような存在でしたか?

「僕にとっては、初めての世界大会。その大舞台で、ブラジル、ナイジェリア、ハンガリーという国々を相手にどれだけできるのか、自分のなかでワクワクするものがありました。それに、僕はアンダーカテゴリーのアジア予選で負けた経験があったから、あの時はアジア予選の段階から絶対に勝ち抜きたいって思っていて、ようやくたどり着いたという思いもありましたね」

---- 実際にオリンピック代表メンバーに選ばれた時の気持ちは?

「うーん......覚えてねぇなぁ(笑)。98年W杯の時、クラブから電話がかかってきたのは覚えているんですけどね。まだ当時はメンバー発表会見もなかったので、おそらくオリンピックの時もクラブ経由で知ったんだと思うんですけど。とくに両親に電話報告した記憶もないし、ひとりで喜びを噛みしめていたんじゃないかと(笑)」

---- 五輪代表ではボランチとしてプレーしましたが、所属クラブの清水エスパルスでは攻撃的MFとして活躍していました。そこにギャップはなかったですか?

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南アW杯のメンバー入りは絶望。そのとき突然、川口能活の携帯が鳴った

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