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マイアミの奇跡から25年。伊東輝悦が振り返る得点シーン「ボールに触ろうかギリギリまで迷った」 (4ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Jiji Photo

---- ブラジルに勝ったことと、グループ敗退した悔しさでは、どちらが上回っていますか?

「もちろん、次のステージに行きたかったほうが強いですよ。『2勝しても次に行けねぇんだ』って当時も思いましたから。

 でも、あのオリンピックが自分のなかで大きな自信にはならなかったかもしれないけど、多少の自信にはなった。何事も『やれば、何とかなるんじゃねぇか』みたいに考えられるようになったことが、何より大きかったです」

---- あの大会以降、日本はオリンピックに出場し続け、来たる東京オリンピックでは「金メダル獲得」が選手や監督の口から目標として語られるようにもなりました。

「すごいですよね、金を獲りにいこうとしているんですからね。それに今回のチームは海外で経験を積んでいる選手がたくさんいて、そういう選手たちが言うんだから、きっと自信もあるんじゃないですかね。もう、僕の時代とは全然違いますよ」

◆日本中が熱狂した「マイアミの奇跡」で前園真聖が感じたこと>>

---- 経験者として、現在の選手たちに何かアドバイスをお願いします。

「いや、僕からは何もないっす(笑)。だって、今の選手のほうが海外でいろいろな経験を積んで、技術的、身体的な能力も上がっているので、僕が言えるようなことなんて、もう何もないですよ。

 ただ、肩の力を抜いて楽しんで下さいっていうことだけですかね。緊張もあるだろうから、それが一番難しいのかもしれないですけど。でも、みんな場数も踏んでるし、できるんじゃないですか。普段はあまり代表の試合は見ないけど、今回は僕も期待して見てみようかなって思ってます」

 伝説の『マイアミの奇跡』の立役者のひとりとして当時を感慨深げに振り返った伊東輝悦は、現在J3のアスルクラロ沼津でプレーしている。後編では、46歳になった今もなおJリーガーとして現役を続ける"鉄人"の素顔に迫る。

(後編につづく)


【profile】
伊東輝悦(いとう・てるよし)
1974年8月31日生まれ、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。1993年、東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)から清水エスパルスに入団。中盤の要として活躍し、2010年まで在籍する。その後、ヴァンフォーレ甲府、AC長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田と渡り歩き、2017年からアスルクラロ沼津でプレー。各世代の日本代表に選ばれ、1996年アトランタ五輪出場、1998年フランスW杯メンバーにも選出される。ポジション=MF。168cm、70kg。

南アW杯のメンバー入りは絶望。そのとき突然、川口能活の携帯が鳴った

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