中田英寿、稲本潤一ら達成者はわずか5人。歴史的偉業への挑戦権を得た2人の五輪世代 (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 日本が世界に追いつこうと育成に力を入れ始めた1990年代、その成果として花開いたのが彼らだった。彼らは全員が1977年~1979年生まれで、5人そろって2000年シドニー五輪に出場。日の出の勢いで急成長を遂げた、当時の日本サッカーの勢いを物語っている。

 しかしながら、2000年代に入ると、日本は年代別世界大会に出場するのが難しい時代を迎えてしまう。とりわけ長く世界から遠ざかることになったのが、20歳以下の世代である。U-20ワールドカップでは2009年大会から4大会連続で出場権を逃すことになった。

 その結果、2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪に出場した(オーバーエイジ枠を除く)選手の中に、U-20ワールドカップ出場経験を持つ者はひとりもいなかった。これでは、3カテゴリーすべての年代別世界大会を経験できる選手が出てくるはずもない。

 五輪が初めての世界大会。そんな選手がほとんどだったのだ。

 ところが今回、わずか5人の先輩たちに肩を並べるべく、東京五輪の登録メンバーに名を連ねた選手が現れた。

 それが三好と久保のふたりである。

 1997年生まれの三好は、2013年U-17ワールドカップと2017年U-20ワールドカップに出場。2001年生まれの久保は、2017年U-17ワールドカップと同年U-20ワールドカップに出場しており、ともに東京五輪が3カテゴリー目の年代別世界大会ということになる。

 しかも、久保は五輪に飛び級(次の大会にも出場できる年齢)でメンバー入りしており、これは前記の5人の中でも、中田、松田にしかない"快挙"。さらに言えば、中田も松田も、19歳で初めての五輪(1996年アトランタ大会)に出場したときはJリーグでプレーしていたのだから、すでにスペイン1部リーグでプレーする久保は、彼らを上回るハイペースで成長の階段を駆け上がっていると言えるだろう。

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