遠藤航が語るリオ五輪予選リーグ敗退の
真相。「初戦がすべてだった」
オリンピック出場がサッカー人生に与えた影響
第4回:2016年リオデジャネイロ五輪・遠藤航(前編)
本来であれば、2020年7月22日から8月9日の日程で開催される予定だった東京五輪。新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、1年後に延期されることになったが、サッカー選手にとって、五輪とはどういう舞台になるのだろうか。また、五輪はその後のサッカー人生にどんな影響をもたらすのか。第4回は、2016年リオデジャネイロ五輪に出場した遠藤航に話を聞いた――。
2016年のリオデジャネイロ五輪に挑むU-23日本代表は、前評判で言えば、2000年シドニー五輪に挑んだチームに次いで、世間の期待値は高かった。
同チームは、2016年1月に開催されたU-23アジア選手権で優勝。手倉森誠監督はそのチームに、さらに3人のOA(オーバーエイジ)選手を加えた。その結果、前回大会の2012年ロンドン五輪での4位を超える、1968年メキシコ五輪以来となるメダル獲得への期待が膨らんでいた。
2016年のリオ五輪に挑んだ遠藤航。キャプテンとしてチームを引っ張っていたが...。photo by REUTERS/AFLO そのリオ五輪代表チームのキャプテンを務めていたのが、遠藤航(当時浦和レッズ。現在はシュツットガルト)だった。遠藤は五輪に対して、明確な目標を持っていたという。
「僕は、五輪に賭ける気持ちが強かったです。そこで活躍して、海外に行く『最後のチャンスだ』くらいに思っていました。ちょうどその頃、A代表にも入っていたので、(本田)圭佑くんとか、(香川)真司くんには『五輪で活躍して海外へ行きたい』という話をよくしていたんです。
ただ、ふたりからは『五輪に賭ける気持ちは大事だけど、海外には簡単に行けるわけじゃない』と言われていました。今は、そう言われたことがよく理解できます。やっぱり(海外でプレーするのは)簡単なことじゃないですし、何より日々のクラブでの活動が大事で、それが代表や海外につながっていく、ということがわかりました。
でも、当時はシンプルに(五輪で)活躍して海外へ行くことを考えていましたし、チームとして、メダルを獲るために『やるしかない』という感じでいました」
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