2020.07.22

大久保嘉人が語る東京五輪世代
「久保、堂安らのレベルは高いけど…」

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

オリンピック出場がサッカー人生に与えた影響
第1回:2004年アテネ五輪・大久保嘉人(後編)

◆大久保嘉人はリーガ・エスパニョーラに「喧嘩腰」で挑んだ>>

アテネ五輪のあと、スペインのマジョルカに移籍した大久保嘉人。photo by JAIME REINA / AFP 2004年のアテネ五輪、日本はグループリーグを1勝2敗とグループB最下位で終えて、決勝トーナメント進出を果たすことができなかった。

 大久保嘉人(当時セレッソ大阪。現在は東京ヴェルディ)は、個人としては3試合に出場し、2得点を記録した。とりわけ、グループリーグ最終戦のガーナ戦では、勝利につながる貴重なゴールをマーク。難しいヘディングシュートでのゴールで、見ている者に強烈なインパクトを残した。その結果、アテネ五輪が終わったあと、大久保のところに海外からのオファーが届いたのである。

「アテネ五輪から戻ってきて、『さあ、これからが大事だな』って思っていた。それによって、自分が変わると思っていたので、早く海外に行きたいと思っていた。

 そうしたら最初、ドイツ(のクラブ)からオファーが届いた。う~ん......って感じで考えていたら、次にマジョルカからオファーが来た。(希望していた)スペイン(のクラブ)だし、『すぐに行く』って返事をしたね。

 これらのオファーが来たのは、間違いなくアテネ五輪でゴールを挙げたからでしょ。あの2ゴールにおかげで、自分の思うとおりに道が拓けていった。五輪という大会の大きさ、そしてそこで活躍することの重要性がわかるよね。だから、五輪(という舞台)は、アピールしないといけない場やと思う」

 2004年11月、マジョルカへの期限付き移籍が決定した大久保は、翌年1月にスペイントップリーグでのデビューを果たす。その後、負傷で戦列を離れることになったが、翌2005-2006シーズンもマジョルカでプレーした。

 しかし、先発での出場機会はほとんどなかった。大久保は、ある問題に直面していた。