2020.07.22

大久保嘉人はアテネ五輪で道を拓いた。
イタリア戦で見せたチャレンジ

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

オリンピック出場がサッカー人生に与えた影響
第1回:2004年アテネ五輪・大久保嘉人(前編)


アテネ五輪を振り返って、当時の戦いぶりについて語る大久保嘉人
本来であれば、2020年7月22日から8月9日の日程で開催される予定だった東京五輪。新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、1年後に延期されることになったが、サッカー選手にとって、五輪とはどういう舞台になるのだろうか。また、五輪はその後のサッカー人生にどんな影響をもたらすのか。まずは、2004年アテネ五輪に出場した大久保嘉人に話を聞いた――。

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 アテネ五輪は、2004年8月に開催された。

 その2年前、2002年日韓共催W杯が開催され、日本は初の決勝トーナメント進出を果たしてベスト16入り。そんな日本代表の躍進があって、国内は空前のサッカーブームにあった。その後も、中田英寿をはじめ、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一ら個性あふれた選手たちが欧州の舞台で活躍するようになって、日本代表は常に大きな注目を集めていた。

 サッカー界への関心が高まっているなか、山本昌邦監督のもと、アテネ五輪を目指す代表チームが結成された。

 その代表チームは、五輪出場切符をつかむまで、非常に苦しんだ。アジア最終予選のUAEラウンドでは、3戦目となるUAE戦を前にして、下痢などで体調を崩す選手が続出。ふらふらの状態になりながら、何とか勝利を得て、日本ラウンドに戻ってきた。

 日本ラウンドでも、初戦のバーレーン戦に敗れるなど、大苦戦。土俵際に追い詰められるなか、”最終兵器”として送り出されたのが、大久保嘉人(当時セレッソ大阪。現在は東京ヴェルディ)だった。

「オレは(最終予選の)日本ラウンドから(再び五輪代表に)呼ばれたんだけど、実は最終予選の前に(テストマッチの)日韓戦でしょうもないプレーをして、山本さんに怒られて、UAEラウンドは外された。それが、悔しくて……。日本ラウンドでメンバーに選ばれたら、『やってやる!』と思っていた。

 でも、その初戦(のバーレーン戦)、チームに呼ばれたのはいいけど、試合に起用されずに(チームが)負けて、『なんで(オレは)使われんの?』って思っていた。で、2戦目(のレバノン戦)で、オレと阿部(勇樹)が先発で起用されて、『もう点取るしかない』って思って、必死でプレーしたね」