大久保嘉人はアテネ五輪で道を拓いた。
イタリア戦で見せたチャレンジ (4ページ目)
だから、アテネに入っても、メダルを獲らなきゃいけないとか、そんな緊張感とかはまったくなかった。オレらは"谷間の世代"だし、(見る側にしたら)『どうでもええんやろ』って思っていた。
でも反面、内心では『見ておけよ』っていう思いは、みんな持っていたと思う。それが、オレら世代ががんばるための、ひとつのキーワードになっていた」
迎えたアテネ五輪。日本はグループBに入って、パラグアイ、イタリア、ガーナと同組だった。初戦は、南米の雄であるパラグアイと対戦した。壮絶な撃ち合いの末、日本は3-4で初戦を落とした。
「初戦は、自分が点を取ったことと、那須(大亮)のミスしか覚えていない(笑)。今(みんなで)集まってもその話になって、那須をイジっている(笑)。
試合後、宿舎に戻って、冗談まじりで『おまえのせいで負けたんだから、坊主やな』っていう話になって、那須が本当に丸刈りにしたんですよ。初戦で負けたんで、もう負けられない状況に追い込まれたけど、那須のその姿を見て(気持ちを)切り替えられましたね。まだ2試合あるし、『次のイタリアに勝つぞ!』っていう感じで、チームはひとつになった。
個人的にも、達也からのパスを受けて、トゥーキックで相手の股を抜いて、完璧なゴールを決めることができた。初戦で点が取れてホッとしたし、乗っていけたんだけど......」
続くイタリア戦は、開始3分にデ・ロッシに華麗なオーバーヘッドでゴールを決められ、さらにエースのジラルディーノから強烈な2発を食らって、前半だけで3失点。阿部のゴールで1点を返したが、厳しい展開を強いられた。
「デ・ロッシのスーパーゴールはすごかったし、ジラルディーノのゴールも半端なかった。強いし、うまいし、男前やしね。強いチームって、そういう強烈なスーパーゴールが決まるんですよ。でもオレらは、オレのヘディングシュートを含めて、決定的なチャンスがありながら、決めることができなかった。
4 / 5