平成サッカー史を変えた怒涛の1週間。代表監督解任から謎の同点弾まで (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by AFLO

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 4戦目と5戦目は中央アジア遠征。カザフスタン、ウズベキスタンとの連続アウェー戦だった。

 10月4日、アルマトイで行なわれたカザフスタン戦は、秋田豊のヘディングシュートで先制。勝ち点3は目前だった。ところがロスタイムに同点弾を浴び、日本は勝ち点を5にしか伸ばせなかった。

 日本は危険水域から脱せぬまま、予選の半分を折り返した。次戦のウズベキスタン戦に敗れれば、日本のW杯初出場は絶望的な状況になる。いよいよ土俵際に追い詰められることになった日本。試合後には、加茂監督が現地まで駆けつけた日本のサポーターにツバをかけられるという事件が勃発。更迭か否かの論議は山場を迎えていた。

 ほどなくすると、サッカー協会の広報担当者から、「いまからホテルで記者会見をするのでお集まり下さい」と連絡が入った。

 当時、海外に携帯持参で行く人はほとんどおらず、メールもポピュラーな伝達手段ではなかったので、連絡は口伝えだった。どこからともなく知らせが舞い込み、すぐに駆けつけたという記憶があるが、すべての報道陣に連絡が行き届いたという感じではなかった。会見室はそれほど混雑していなかった。

 発表したのは確か長沼健サッカー協会会長(当時)だったと記憶するが、加茂監督を解任すると発し、「次の監督は」と続いた瞬間も、その人物が、傍らに座る岡田武史さん(当時ヘッドコーチ)だと思った人はいなかった。「岡田」と言われて、報道陣は一様にエッと驚嘆することになった。

 それでもなお、岡田さんは一時の暫定監督だろうと勝手に推測していた。帰国後、ジーコなど、それなりの人と折衝するのだろうと。

 選手だった井原正巳と秋田豊は、加茂監督が監督解任になるらしいという話を聞いて、岡田さん本人に「次の監督、誰なんですか」と尋ねたそうだ。黙りこくるその岡田さんの顔色がとても悪かったので、どうなっているのか心配になったという。

 そうしたなかで「岡田」の名前を聞かされた選手たちは、彼らも一様に「エッ」と仰け反ったそうだ。というのも、当時の岡田さんはそれほど監督にはほど遠い雰囲気の持ち主だったからだ。いかにも監督然とした加茂監督とのパイプ役として、選手たちから親しまれていた。

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