ハリルJの哀愁。明るい未来も、誇れる過去も、帰るべき場所もない (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 藤田真郷●撮影 photo by Fujita Masato

 しかし、その一方で「かなりの選手をテストした」(ハリルホジッチ監督)と言っても、この試合で初めてA代表でプレーしたのは、中島とDF宇賀神友弥のふたりだけ。それ以外は、現監督下での(トレーニングも含めて)プレー経験をそれなりに持つ選手たちなのである。酷い凡戦の理由が主力の不在だとするなら寂しい話だ。

 ハリルホジッチ監督就任以降の日本代表は、特に昨年のW杯最終予選以降、対戦相手に応じて選手や布陣を含めた戦い方を変えることで、結果を残してきた。少なくともW杯本大会においては、弱者に属する日本にとって、それは必ずしも悪いことではない。

 だが、相手次第でサッカーを変えるチームは、結果的に本来中心に定まっているべき軸を失わせた。試合ごとに選手も変われば、戦術も変わる。うまくいかなかったとしても、次の試合はまた別の選手と別の戦術。この試合のように自らの戦術が相手にハマらなかったとしても、立ち返るべき場所がない。ともすれば、評価は「選手が戦っていたかどうか」だけでまとめられがちだ。

 思えば4年前、日本代表がブラジルで惨敗を喫したとき、「自分たちのサッカー」という言葉がひとり歩きした。「自分たちのサッカーをやりたい」と口にする選手たちの揚げ足を取るように、柔軟性の欠如だとの批判が巻き起こった結果である。

 しかし、当時の選手たちにしても、常に自分たちがやりたいようにパスをつないで攻撃できるほど、サッカーが単純ではないことはわかっていたはずだ。彼らが言う「自分たちのサッカー」とは、必ずしも戦術的なことだけを意味したわけではないだろう。そこには「平常心」や「自信」、あるいは「裏づけのある成功体験」といった意味合いが含まれていたに違いない。

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