諸刃の剣!? ハリルホジッチ監督の3つの不安材料 (2ページ目)
当時のPSGは、それまで大黒柱だったロナウジーニョがバルセロナに去ってしまったことで、チーム再建のため、リール時代に年間最優秀監督賞を受賞したこともあるハリルホジッチを03-04シーズンにレンヌから招へい。すると、厳しさと規律を重んじる厳格な指導者として定評があった彼は、スター選手が抜けたチームをすぐに改造し、就任初年度からフランスカップ優勝とリーグ2位という予想外の好成績に導いた。
2004年、パリ・サンジェルマンを指揮していたころのハリルホジッチ監督 よって、PSGにとっての2004-2005シーズンは、チャンピオンズリーグにも出場し、リーグアンでは優勝候補として臨んだ期待のシーズンであり、彼にとっては監督としてさらなるキャリアアップを狙える重要なシーズンだった。
ところが、2004年11月19日に行なわれた首位リヨンとの一戦。本拠地パルク・デ・プランスを訪れた時に見た光景は、シーズン前の期待とは大きくかけ離れたただならぬ実態の数々だった。スタンドから度々巻き起こる大ブーイングと口笛の嵐。そして、スコアレスドローに終わった試合後の会見場に漂っていた不穏な空気。壇上で、高圧的な態度でメディアと対立する彼の姿は、今でも記憶に残っている。
実は、開幕スタートダッシュに失敗したそのシーズン、彼は主力選手の内紛もあって思うような成績を残せず、すっかり選手からの求心力を失っていた。しかもチーム復調の障害となったのは、他ならぬ彼の厳しい指導スタイルだったのである。
2 / 5