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アギーレ監督解任問題。技術委員会のプレゼンスを守れ!

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 アギーレ日本代表監督の解任問題と新監督について語る前に、まず時計の針を1995年11月まで巻き戻したところから振り返りたい。

2月12日記者会見する、日本サッカー協会・大仁邦弥会長(右)2月12日記者会見する、日本サッカー協会・大仁邦弥会長(右)

 この年、フランスW杯アジア予選を目前に控え、苦戦を続ける加茂周代表監督に対して評価を司(つかさど)る強化委員会(当時の名称、加藤久委員長)が出した答えは契約満了に伴う退任で、新監督にネルシーニョの名前が挙がっていた。それがどういう経緯だか、幹部会でひっくり返って続投となった。ネルシーニョが言った「腐ったミカン」事件である。

 結局、加茂体制でアジア予選を戦い始めるも、強化委の見立ては間違いではなく、結果が出せずにアウェー、カザフスタンの地で解任になったのは周知の通りである。現地で加茂解任と岡田武史新監督を具申した今西和男強化委員(当時)によると、強化委の間では「加茂さんではアジア予選を勝ち抜けない」とかなり早い段階から見切りをつけていたという。

 では誰が加茂を選んだのか。言うまでもない。本来専門職域として尊重されるべき強化委員会のレポートを反故(ほご)にしたのは協会内の力学である。以降も会長の人間関係から、あるいは責任を回避する弾除けとして代表監督任命が成されてきた。加藤強化委員長が推したネルシーニョでなく加茂周、大仁邦弥技術委員長の挙げたブルーノ・メツではなくジーコ。そして惨敗の検証も無いままにオシム。強化委員会が改変されて、技術委員会に名前が変わってもこの構図は続いた。

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