豊田陽平が語る「2014年、鳥栖に何があったのか」 (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by 7044 AFLO

 とは言え、ピッチでの彼の存在感は際立っていることは間違いない。

 鳥栖の攻撃パターンは豊田ありきで、彼が得点していなくても、その脇に出た隙を突くのが常道だろう。まるで前線に一本打ち込んだ太い杭のように、豊田を頼りに後方の選手が攻め上がる。もしボールを敵に簡単に渡してしまったら、波状攻撃どころか、カウンターを食らうが、マーカーとの攻防を制する豊田がいることで、雷のように思い切った攻撃にも打って出られるのだ。

「センターフォワードとしての威圧感はリーグトップ」と多くの対戦したディフェンダーたちが感嘆している。例えば清水エスパルスの不動のセンターバックである平岡康裕は、「トヨさんはJリーグでもトップのFW。高さも、強さもあって、それに動きの速さもあるんですから。(セットプレイはマーク役を務めたが)ヘディングで競りに行くだけでも一苦労ですよ」と証言している。

 その豊田の奮闘で、2014シーズンの鳥栖は18節(8月2日)には首位に立った。

 ところが、そこで事件は起きたのだ。

 8月7日、尹晶煥(ユン・ジョンファン)が監督を退任して、吉田恵が新監督に就任することが発表されている。選手にとっては青天の霹靂(へきれき)だった。

「方向性の違い」では、首位のクラブの監督が交代させられる説明にはならない。金銭的な破談だったとしても、シーズンの途中に退任させる人事そのものがフロントの不始末だった。現場において動揺が走らないわけがない。鳥栖はその後のリーグ戦8試合で2勝5敗1分けと大きく負け越し、優勝戦線から脱落せざるを得なかった。

 さらに言えば、そのままもっと下位に沈んでもおかしくない状況だったのである。

「あのときは、しばらく勝てない試合が続いて、チームがばらばらになりそうだったんです」

 豊田はおもむろに真相を話し始める。

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