偉大なるなでしこ・小林弥生がベレーザに残した「誇り」
12月特集 アスリート、現役続行と引退の波間 (17)
2014年度の締めくくりである皇后杯決勝が小雪舞う寒さの元日に行なわれ、日テレ・ベレーザが5年ぶりの頂点に立った。
トレードマークの「笑顔」で現役を終えた小林弥生(最前列中央) 2014年なでしこリーグ年間女王の浦和レッズレディースとの決勝は、先手を奪おうとする浦和のタテへ速い攻撃と、それを高い集中力で切り続けるベレーザとの攻防が繰り広げられた。スコアを動かしたのはベレーザ。19分、FW田中美南が落としたボールをMF籾木結花がシュート。こぼれたところを田中が押し込んだ。
この日のベレーザは一味違った。攻守において、互いの距離感が抜群。特に守備においては、浦和のアタッカーが裏への飛び出しを見せると、すぐさまサンドするべく近場の選手が侵入に応じて寄っていき、スライドしていく。
最終的には、たとえ抜かれてもサイドバックまでがしっかりとケアに入り、何重にも守備網を張る。同時に、攻撃でもその距離感は生かされた。こうなっては、浦和も崩しきれない。後半の途中からややリズムを崩す場面があったが、田中の1ゴールがそのまま決勝点となり、ベレーザが5年ぶりの優勝を手にした。
今季、ベストパフォーマンスと言ってもいいサッカーを決勝で見せたベレーザ。選手たちの原動力になったのは小林弥生の存在だった。
日本女子サッカーの繁栄も衰退も復活も、その渦のど真ん中で支えてきたベテラン選手。 ケガも多く、"国立の奇跡"(※)を経て掴んだアテネオリンピックには出場したが、北京オリンピックへ再スタートを切った2005年、左膝前十字靭帯損傷を負う。悲劇は続き、リハビリを終えた翌年、代表復帰を果たした小林だったが、合宿前日、今度は逆足の右膝前十字靭帯を損傷。このときは前十字のみならず、後十字と、半月板までにも傷は及んだ。そして3年前の2012年、再び左膝前十字と半月板を損傷。普通なら、ここで引退を選んでも誰も咎(とが)めはしないだろう。
※2000年のシドニーオリンピック出場を逃し、低迷期にあったなでしこが北朝鮮に3-0で勝利した試合
しかし、小林はこのとき、「31歳でもう一回、あのリハビリ......辛かった。でも、担架で運ばれてピッチを去るのが最後っていうのは絶対にイヤだった」と続ける道を選んだ。
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