田口泰士「日本代表に選ばれ、地元沖縄の人が見てくれた」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Sueishi Naoyoshi

「(8月30日の)瑞穂(陸上競技場)での(川崎)フロンターレ戦でしたかね。両親を招待したんですけど、試合後、家族一緒に飯を食ったんですよ。まあ、たまに真面目な話もするんです。そこで、『サッカーが楽しくなくなっている』と打ち明けたんですよ。そのとき、おとーもおかーも、『やりたいようにやればいいさー。自分の思ったように、がんばりよー』と言ってくれて。ああ、それでいいんだな、もう楽しんでやろう、と気持ちが楽になったんです。それで2ヵ月くらいしたら、いきなり代表に呼ばれるようになったわけだから、メンタルって大事っすね」

 9月、10月と、Jリーグにおける彼のプレイテンポは確実に上がっている。それが代表監督就任直後のアギーレ監督の目に止まったのだろう。一流になる選手はそうした運を持っているものだ。

「自分はいろんな人に会えたり、運に恵まれているんだと思います」

 そう白状する田口は、ボスコ(・ジュロヴスキ、元名古屋グランパスのアシスタントコーチ)と出会わなければボランチになれなかったかもしれない。小学校、中学、高校と縁に恵まれたという思いがある。そもそも両親がサッカーに理解を示し、練習場の送り迎えなどで協力してくれなかったら、自分の道は開けなかった。

「感謝と謙虚さを忘れずに」

 母親が繰り返し言う戒めを、彼は肝に銘じる。同じような素質を持った選手が、プロに入れなかった。あるいはプロに入っても2、3年でその道を閉ざされてしまう。そんな姿を彼はいくつも目の当たりにしてきた。

「プロは落ちるのは速いですからね。あっという間ですよ」と田口は語る。

「その怖さがまったくないと言ったら嘘になります。だからこそ、楽しむことは忘れないようにしています。“チームのため”という気持ちはあるし、そういう心構えは当然、持っているつもりです。でも、そればっかりだと自分が楽しめなくて、結果的にチームのためにもならない。自分が楽しめていれば、必ずチームのためにもなる。オレはそう考えています」

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