【日本代表】豊田陽平が語るJリーグとW杯への思い

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

1985年4月11日、石川県生まれ。星稜高校卒業後、2004年、名古屋グランパスに加入。モンテディオ山形、京都サンガを経て2010年からサガン鳥栖でプレイ。2011年はJ2得点王となりチームのJ1昇格に貢献。2012年は得点ランク2位となる19点をあげベストイレブンにも選ばれた。北京五輪代表1985年4月11日、石川県生まれ。星稜高校卒業後、2004年、名古屋グランパスに加入。モンテディオ山形、京都サンガを経て2010年からサガン鳥栖でプレイ。2011年はJ2得点王となりチームのJ1昇格に貢献。2012年は得点ランク2位となる19点をあげベストイレブンにも選ばれた。北京五輪代表連載・ブラジルW杯を狙う刺客たち(3)~豊田陽平(サガン鳥栖)~前編

 ラトビア戦の日本代表メンバーに、噂されたその男の名前はなかった。メンバーの固定化が著しいザックジャパン。代表の座を狙う若きプレイヤーたちの肖像に迫る。

2012年11月。携帯電話の画面が明滅し、着信者を確認すると代理人からだった。

<移籍についての話かな?>

 豊田陽平はほとんど反射的に電話の用件を推測した。2011年シーズンにJ2で得点王になってから、清水エスパルス、ガンバ大阪など、Jリーグで自分に好意を寄せるクラブは増えていた。その上、12年シーズンはJ1で得点王を争っており、実力社会においてオファーがあるのは当然のことだ。

「もしもし?」

 豊田はおもむろに通話ボタンを押し、少し低い声音で電話に出る。

「移籍オファーの話だけど」
 
やっぱりな、と彼はなんだか勝ち誇ったような気分で次の言葉を待つ。

「上海からの話で。上海申花っていうクラブなんだけど。名前は知ってる?」

 えっ、思わず答えに詰まる。

「有名だし、ドログバとかいますよね?」

 思いがけない一撃に戸惑い、必死にそれだけ口にした。自分で言いながら、どっきりでも仕掛けられているようで、落ち着かない。その昔、プレイスタイルの共通点から名前をもじられ、「トヨグバ」と呼ばれていたことがあった。

<まさか中国のクラブ? しかも、トヨグバがドログバとチームメイトなんて>

 自分事ながら、おかしくて笑いが込み上げる。嘘のような話だが、年俸提示は約9千万円。どうやら正式なオファーだという。

「どういう経緯なんですか? 本当の話ですかね?」

 簡単には信じられない話に要領を得なかったが、一方で心が躍るような感覚も感じていた。

<FWとして結果を残すことで、中国からも注目される。劇的に自分の見られ方は変わってくるんだなぁ>

 2012年シーズン、豊田はJリーグ得点ランキング2位の19得点を叩きだしている。Jリーグアワーズでは得点王の佐藤寿人(サンフレッチェ広島)らと共にベストイレブンを受賞。J1昇格組の鳥栖でのゴール量産、それは特筆に値した。

 昨今は中東のオイルマネークラブがJリーグのブラジル人トップスコアラーを買い漁っており、資金力のある上海も豊田の名前をその一人に挙げたのだろう。ただ、中国のスーパーリーグでは給料未払いも発生している。

「考えます」

 そう答えたものの、真剣に検討はしていない。海外挑戦の意志は強いものの、移籍先は同世代の本田圭佑や長友佑都らのように欧州のトップクラブであることが前提だ。中国サッカー界はスター選手が百花繚乱とは言え、ドログバら欧州で長くプレイしてきた選手の"年金リーグ"という印象が強い。

<35歳の選手だったら考えるけど>

 そこに迷う余地はなかった。
 

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