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【プロ野球】「なぜ打てないのか、こっちが不思議だった」 伝説の剛腕・山口高志が明かす広島打線を絶望させた68球の真実 (5ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

【広島打線を惑わせた西宮の影】

 そして、もうひとつ。広島打線が山口のストレートに翻弄された理由として、このシリーズを振り返る際にしばしば語られるのが、西宮球場の夕景が作り出した明暗のコントラストだった。

「ちょうどね、バッテリー間のところに照明灯の鉄塔の影が通るんですよ。その時間帯だけバッテリー間が影で暗くなる。マウンドのところは基本的に明るいので、ボールは明るいところから暗いところを通って、明るいバッターのところへ来る。だから、見づらくてより速く見えたという話です」

 1975年のシーズン、そして日本シリーズで山口と数多くバッテリーを組んだ中沢伸二にも、以前、この話を聞いたことがある。中沢は当時の光景をこう表現していた。

「西日が差してくる時間帯になると、だんだんとスタンド2階席の部分が影を作って、バッテリー間を含めて覆ってくるんです。一方で外野、バックスクリーンのところは陽が当たって明るいまま。だからボールが明るいところから暗いところへ入ってくる感じになって、これが見づらい。キャッチャーは捕りにくいし、審判も見づらいというんだから、バッターも打ちづらいですよ」

 いずれにしても、西宮球場の夕景が生み出す明暗のコントラストが、山口の剛球をさらに打ちづらいものにしていたことは間違いなさそうだ。

 そこで、さらに疑問が湧いた。西宮を本拠地として戦っていた山口は、シーズン中からこのコントラストを意識して投げていたのだろうか。当時のパ・リーグでは、土曜、日曜に14時や15時開始の試合が多く組まれていた。しかし、この問いに山口はあっさりと首を振った。

「日本シリーズは13時開始で、陽が暮れるタイミングも普段とは違いましたし、それに秋の時期のあの時間帯だからこそ、なんですよ。秋は日が暮れるのが早いでしょ。そこでちょうど、あの試合の8回あたりに僕にとってのいい影ができたということだったと思います」

 ただ、山口の1975年日本シリーズでの快投が、西宮球場の夕景とセットで語られることについて、少々不満をにじませていた中沢の言葉も付け加えておきたい。

「だけど影が消えたあとも、球場が広島市民になっても、打たれなかったですからね」

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