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【プロ野球】5試合で398球を投げて日本一、そしてMVP 「車をもらったけど...」 山口高志が明かす50年前の意外すぎる後日談

  • 谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

山口高志が伝説になった日〜阪急を日本一に導いた398球の記憶(後編)

 延長11回、当時の日本シリーズ史上最長となる4時間29分の末、引き分けに終わった第1戦。山口高志は68球を投げた。初戦で登板していなければ、第2戦の先発が濃厚だったのだろう。しかし、第2戦は山田久志が先発し、完投勝利を収めた。

 シリーズ全体を振り返れば、この1勝が阪急にとって極めて大きな意味を持っていたように思える。翌朝の新聞には、こんな見出しが躍った。

「山田蘇る」

 この年の山田は12勝10敗、防御率4.32。今とは違い、エースには20勝が期待され、少なくとも15勝以上は見込まれていた時代である。山田にとっては不本意極まりない成績だった。しかも、近鉄とのプレーオフでは救援登板で7失点と大炎上。そのエースが意地を見せたのである。

【勝敗を分けた捕手交代の妙】

 第3戦の先発が濃厚と見られながら、第2戦の救援にも備えていた山口を使うことなく、山田がひとりで投げきって勝利をつかんだ。その意味は、決して小さくなかった。

 迎えた第3戦。阪急は予想どおり山口を先発に立てたが、広島も動いた。第1戦の終盤に山口と投げ合い、好投を見せていた金城基泰を先発に起用したのである。金城は1974年に20勝を挙げた細身のアンダーハンド。しかし、オフに交通事故に遭い、1975年のシーズン半ばに戦列復帰してからは救援に回っていた。

「一番状態のいい投手。とにかく試合前半を抑えたかった」

 試合後、古葉竹識監督はそう語ったが、山口への対抗意識が、この思いきった起用につながったのだろう。ところが、金城は3回途中4失点で降板。阪急にとっては、俄然有利な展開となった。

 しかし、試合展開や相手にかかわらず、常に全力投球。その代償とも言うべきか、順調に試合を運べないところも山口らしさだった。

 6回、山本浩二に2ランを浴びると、7回には三村敏之の適時打などで2点を失い、瞬く間に同点。試合は振り出しに戻った。

 それでも、阪急には山口のあとを安心して任せられる救援投手がいなかった。そこでベンチが動いた。交代させたのは投手ではなく、捕手だった。先発マスクをかぶっていた河村健一郎に代え、中沢伸二を起用したのである。

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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