【プロ野球】5試合で398球を投げて日本一、そしてMVP 「車をもらったけど...」 山口高志が明かす50年前の意外すぎる後日談 (5ページ目)
【球史に刻まれた伝説の398球】
それにしても、すさまじい投球内容である。救援、完投、救援、救援、救援──。6試合中5試合に登板し、しかも最後は4連投。
大学、社会人で数々の修羅場をくぐり、世界を相手にも戦ってきたゴールデンルーキー。その心身の強さには、あらためて脱帽するしかない。そう感心していると、本人が笑顔でひと言。
「すごいピッチャーやったんやね」
たしかに、すごい投手だ。しかし、すごかったのは、その起用法も同じである。上田監督の采配について尋ねると、山口は苦笑いを浮かべた。
「まあ、イケイケで調子のいい者をどんどんつぎ込んでいく人やった。だから、阪急はピッチャーが残らんとか言われたりもしたんやけど......(笑)」
登板を重ねるなかで、コンディションやボールの勢いに変化を感じることはなかったのだろうか。
「そらね、しんどかった覚えはありますけど、気も張って、勢いもついてるから。ブルペンで待機していてもアドレナリンも出て、数をそんなに投げなくても試合で投げれてましたしね。マウンドに上がった時も、『このバッター、なんか嫌やな』とか、『怖いな』と感じるようなこともなかったので、いつものボールは投げれたんじゃないかと思います」
5試合、24回3分の2、398球。その一球一球の積み重ねによって、阪急は長く手の届かなかった日本一の栄冠をつかんだ。そして、半世紀が過ぎた今なお語り継がれる、ひとつの伝説が生まれたのである。
歓喜に沸く西宮球場。色とりどりの紙テープや紙吹雪が舞うなか、山口がシリーズMVPに輝いた。
最優秀選手賞の副賞だったトヨタ・カローラがグラウンドに運び込まれ、山口がボンネットの上でポーズを取る。あの時代の日本シリーズでは、おなじみの光景だった。
そういえば、当時の山口は運転免許を持っていなかったと、何かで読んだ記憶がある。あの車は、その後どうなったのだろうか。
「しばらく工場に置いてもらってたんですけど、担当者も代わるからどうしましょう、となって。女房が慌てて免許を取りにいったりもしたんですけどね。結局、キャッシュで車代を受け取って、車は乗ることなく終わりました。僕もついに免許取らずじまいです」
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