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【プロ野球】「なぜ打てないのか、こっちが不思議だった」 伝説の剛腕・山口高志が明かす広島打線を絶望させた68球の真実

  • 谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

山口高志が伝説になった日〜阪急を日本一に導いた398球の記憶(前編)

 ソフトバンクホークスが横浜DeNAベイスターズを4連勝で下した今年の日本シリーズを見ながら、ふと半世紀前の頂上決戦を思い出していた。

 1975年秋、阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)と広島東洋カープが激突した日本シリーズである。今とは違い、全試合がデーゲームで行なわれていた時代。その舞台設定もまた、覇権の行方を左右する重要な要素となり、今なお語り継がれる伝説の戦いが生まれた。

1975年の日本シリーズで広島打線を圧倒した山口高志 photo by Kyodo News1975年の日本シリーズで広島打線を圧倒した山口高志 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【ひとりでシリーズを変えた男】

 阪急が4勝2分けで広島を退け、悲願の日本一に輝いた。今年のシリーズと同様、一方的な結果とは裏腹に、各試合とも接戦の連続だった。あの場面で一本出ていれば、結果はどうなっていたのか──。そう思わせる展開が続いた。しかし、その一本を許さなかった男がいた。阪急の山口高志である。

 かつて広島の監督を務めた白石勝巳は、スポーツ新聞に掲載された日本シリーズ観戦記のなかで、その衝撃をこう記している。

「このシリーズで最もセンセーショナルな出来事は山口の好投だった。山口がシリーズのストーリーをひとりでつくり上げた。ひとりのプレーヤーがこれだけすばらしい働きをしたのは、私の長い野球生活でも初めてのことだった」

 今なお「歴代最速投手は誰か」という議論になれば、必ずと言っていいほど名前が挙がる伝説の剛腕。その山口がルーキーとして挑んだのが、1975年の日本シリーズだった。

 6度目の出場で悲願の日本一を目指す阪急と、球団創設26年目にして初めてセ・リーグを制した広島。両者による頂上決戦は10月25日、土曜日の午後、秋晴れの西宮球場で幕を開けた。

 下馬評では、社会現象ともなった「赤ヘル旋風」を巻き起こした勢いに加え、投打のバランスが取れた戦力面からも、広島優位と見る声が多かった。

 一方の阪急は、パ・リーグの前期を制したものの、後期は最下位。プレーオフで退けた近鉄の監督で、2年前まで阪急を率いていた西本幸雄も、シリーズを前に「4勝2敗で広島。阪急は投手陣が弱い」と予想していた。

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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