【プロ野球】「なぜ打てないのか、こっちが不思議だった」 伝説の剛腕・山口高志が明かす広島打線を絶望させた68球の真実 (2ページ目)
ただ、阪急には山口がいた。前年のドラフト前には、当時松下電器に所属していた山口について、関係者が口を揃えて「山口が入団したチームが優勝する」と語ったほどの逸材だった。
プロ1年目の成績は12勝13敗、防御率2.93。
相手打線に手も足も出させない快投を見せたかと思えば、四球を連発して大乱調に陥ることもある。投げてみなければわからない面が多分にあった。しかし、その振り幅の大きさもまた、山口の魅力だった。
全投球の約8割を占めるストレート。来るとわかっていても、プロの打者でさえ容易にはとらえられない。その剛球には、打者のすべてを飲み込んでしまうかのような桁違いの迫力があった。そのストレートが最も輝きを放った舞台こそ、1975年の日本シリーズだった。
【上田監督が山口に託したもの】
初戦の先発は、阪急がシーズン11勝のベテランアンダーハンド・足立光宏。広島はシーズン20勝を挙げ、沢村賞にも輝いた外木場義郎だった。
山口は第2戦での先発が噂されていた。仮に初戦を落としても、第2戦は山口で勝つ。何があっても連敗だけは避ける──。阪急には、そんな思惑があったようにも思える。
現在、母校の関西大で野球部アドバイザーを務める山口は、半世紀前の秋の出来事をゆっくりと振り返り、言葉をつないだ。
「あの時の広島は初優勝で街も沸いて、チームに勢いがありました。ただ、阪急もよく打っていましたから、取ったり取られたりのシリーズになるのかな、と。自分のことで言えば、プレーオフのほうがメチャクチャ緊張して試合に入った覚えがあるんです。プレーオフはまだ先があるけど、日本シリーズは勝っても負けても、そこで1年が終わる。だから日本シリーズは思いきっていこう、それだけでしたね」
第2戦の先発は、報道されていたように決まっていたのだろうか。
「何戦目に先発とかは、はっきりと決まってなかったんじゃないかな。常に何人かが用意して、流れのなかで決まっていく感じやったと思います」
ちなみに、この年の阪急で1年間に一軍登板した投手は、わずか11人。チームの130試合のうち71試合が完投試合だった。
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