【プロ野球】5試合で398球を投げて日本一、そしてMVP 「車をもらったけど...」 山口高志が明かす50年前の意外すぎる後日談 (2ページ目)
実は、シーズンの大半で正捕手を務めていたのは中沢だった。ところが、近鉄とのプレーオフ第2戦、山口が先発して初回に3点を失うと、ベンチは捕手を中沢から河村にスイッチした。すると山口は立ち直り、河村も打撃で本塁打を放つなど活躍。阪急はそこから3連勝を飾り、パ・リーグの覇権を手にした。
その流れを受け、日本シリーズでも河村が第1戦からマスクをかぶっていたのである。しかし、第3戦の途中で再び中沢へ。今回も捕手交代で山口が持ち直し、同点の9回二死から、今度は中沢が勝ち越しの2ランを放った。さらに大橋穣にも一発が飛び出し、阪急は7対4で勝利した。
山口を軸に両軍ベンチが動いた結果、勝敗は分かれた。
第3戦で完投勝利を収めた山口は、6安打、7奪三振、6四球、4失点。投じた球数は157球だった。今なら、この球数だけで大きな話題になるだろう。しかし、本人に言わせれば「150球くらいは特に」という。
実際、1975年のシーズンは22試合に先発し、そのうち8試合で150球を超えていた。近鉄とのプレーオフ第2戦では、実に192球を投げて4失点完投。さらにさかのぼれば、大学時代には300球を投げて完投したという伝説まで残している。
「あれは延長(20回)やったから多くなっただけでね。150や160というのは、僕の野球人生そのもの。いつものことでした」
【自ら勝ち越し打も、まさかの結末】
第3戦を終えて、阪急は2勝1分け。上々のスタートだった。ただ、山口に頼る投手起用には、常に不安がつきまとっていたはずである。
そこへ、天が味方した。雨により、第4戦が1日順延となったのだ。山口にとっても、ひと息入れて仕切り直す機会となった。
第4戦は、中4日で先発した足立光宏が3回3失点で降板。すると、このシリーズ初登板となった戸田善紀が、4回からの3イニングを無失点に抑える好投を見せた。
7回に阪急打線が追いつき、3対3。すると、その裏の守りからベンチは山口を投入した。勝機が見えれば、惜しみなく切り札をつぎ込む。上田利治監督らしい采配だった。しかし、結果は第1戦に続く引き分け。延長13回、時間切れによるドローだった。しかも、13回表に阪急が勝ち越しながら、その裏に追いつかれての引き分けである。
「あとひとりで勝った試合をね......」
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