【プロ野球】大洋監督・近藤貞雄に「リリーフは無理」「二度と使わん」と酷評された齊藤明雄が語る感謝「もう1年、やってもよかった」
野球の未来を見ていた男〜近藤貞雄伝
証言者・齊藤明雄(後編)
投手出身ゆえの厳しさだったのか。横浜大洋(現・DeNA)の監督に就任した近藤貞雄は、抑えを務める齊藤明雄に辛辣な評価を下していた。1985年の開幕直後、齊藤が3試合に登板して2度失敗すると、近藤は「リリーフは無理」と発言。記者に向けた言葉とはいえ、実際に紙面にも掲載されている。本人は、その言葉をどう受け止めていたのだろうか。この時、プロ9年目を迎えていた齊藤に聞く。
17年間の現役生活で128勝133セーブの成績を残した齊藤明雄氏 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【新聞の記事を見返してやる】
「近藤さんは『瞬間湯沸かし器』と呼ばれた人ですから、記者の前でカーッとなって言う。でも、僕は新聞を読んでも気にしなかったし、何より監督本人に言われたわけじゃないですから。監督から直々に同じようなことを言われたら、『ああ、ダメなんだな』という気にもなりますけど、その時もまったく言われていませんでした。だから、監督を見返してやるというより、『新聞の記事を見返してやる』という気持ちで練習するだけでしたね」
記事には<確執再燃>の見出しが躍った。だが齊藤によれば、起用法をめぐって近藤と確執が生じたことなど、一度もなかった。にもかかわらず、近藤が記者の問いかけに饒舌に答えるうちに、ない話がつくられた可能性はあった。
「記者の人たちには、僕ら選手が監督ともめているように書きたいという考えはあったんじゃないですかね。そのほうが読まれますから。でも実際には、もめごとなんていっさいなかった。コーチともなかったです。近藤さんとすれば、『マスコミの相手はこっちでしておくから、選手は野球に集中してくれ』という考えだったのかなと思います」
「リリーフは無理」と発言したあと、4月20日のヤクルト戦ではセーブがつく場面を迎えても、近藤は齊藤を起用しなかった。のちに近藤は、齊藤のプライドを刺激し、発奮を促したと明かしているが、齊藤本人はとくに刺激されなかったという。
2日後のヤクルト戦でシーズン初セーブを挙げると、その後は抑えとして活躍していった。その後も失敗すれば「二度と使わん」と記者に言う近藤だったが、齊藤自身、何も言われなかった。
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著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など








































