【プロ野球】高木豊が語る近藤貞雄の先見性 今では当たり前の野球を40年前の大洋で実践......スーパーカートリオ、ツープラトン、分業制 (4ページ目)
「固定メンバーで戦って、『今日も出なかった、明日も出ないだろう』みたいなことが続くと、控えの選手はやる気につながらないですよね。そこで近藤さんが『ツープラトンだ』と言って、守り専門の選手でも、試合に勝っていると『オレの出番だ』と、出ていく瞬間がわかって、いい準備ができる。だから、あの時の大洋は選手全員が責任を持ってプレーしていましたよ」
投手分業制も、ツープラトンも、今の時代では当たり前の戦法である。しかし、当たり前ではなかった時代に近藤は率先して導入し、大洋では選手の意識を好転させた。少なくとも、チームの中心選手である高木はそう感じていた。晩年の1994年には日本ハムへ移籍した高木は、通算で14年間プレーし、仕えた監督は9人。そのなかで近藤はどういう存在になるのだろうか。
「名将のひとりだと思いますよ。なぜかというと、みんなを生き生きさせたということで。古葉さんも広島では名将だったでしょうけど、カープを優勝させた時のような愛情は、たぶん横浜には持てなかったと思います。熱さがなかったというか。その点、近藤さんは常に熱い人でもありました」
熱さのあまり、中日時代は選手をけなす監督でもあり、主力選手からは嫌われてもいた。「名将のひとり」と評される大洋時代はまた、違ったのか。
「いやぁ、けなしっぱなしでしたけど、けなし方が面白かったですからね。"瞬間湯沸かし器"も、まさに瞬間で後腐れがない。今の時代だとコンプライアンスに引っかかるでしょうけど、近藤貞雄監督も、その野球も、僕は成立すると思います。選手に対する愛情があって、戦っている時は選手を守ってくれる監督でしたから」
(文中敬称略)
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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