【プロ野球】高木豊が語る近藤貞雄の先見性 今では当たり前の野球を40年前の大洋で実践......スーパーカートリオ、ツープラトン、分業制 (3ページ目)
「近藤さんは『レオンは勝負弱かった』とか言ってました。で、レオンはヤクルトに移りました。敵として対戦した時にね、近藤さん、レオンを敬遠したんです。大事な場面で勝負を避けたんで、『なんだ、言ってることとやってることが違うじゃないか』っていう批判も浴びてましたよ。ただ、そういうところも含めて面白いんです。本当に面白い監督でした」
【みんなを生き生きさせた名将】
翌86年、スーパーカートリオに加え、新外国人のカルロス・ポンセ、ダグ・ローマンが4番、5番で活躍。4月、5月を勝ち越すと<いま、近藤大洋が面白い>とマスコミを通してもてはやされ、巨人、広島との首位争いも見えていた。その采配は"近藤魔術"と言われ、"ハマのマジシャン"とも呼ばれた。だが、6月半ばから7月にかけて13連敗を喫したなか、ベテランの田代富雄が左手首骨折してしまう。
7連敗でスタートした後半戦には、好調だった加藤も離脱。投手陣では抑えの斉藤明夫が最優秀救援投手のタイトルを獲得するも、先発の駒不足が響いて前年と変わらず4位。シーズン中の10月8日、広島で優勝4度の実績がある古葉竹識への監督交代が発表された。近藤の2年契約は更新されなかった。
「チームは弱かったけど、近藤さんの時代は野球をやっていて充実感があって、楽しかったですよ。やっぱり足という売りがあるし、その責任も与えられました。チームを勝たすための責任ですね。それに"ツープラトン"と言って、ベンチで遊んでる人がいなくなった。みんなが役割を与えられて、生き生きしてましたから」
"ツープラトン"とは、近藤が中日時代に発案した"アメリカンフットボール方式"を言い換えた戦法だ。すなわち、攻撃型のオーダーで試合に入り、自軍がリードしたら終盤は守備型の選手に入れ替え、抑え投手で逃げ切る。1985年は内野では村岡耕一、外野では河野誉彦が近藤に登用され、主に守備固めで一気に出番を増やした。
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