【プロ野球】高木豊が語る近藤貞雄の先見性 今では当たり前の野球を40年前の大洋で実践......スーパーカートリオ、ツープラトン、分業制 (2ページ目)
【信念を貫いたレオン放出劇】
この年の加藤はリーグ最多の39犠打を記録した一方で、大洋のチーム犠打数は116でリーグ3位。141犠打で1位の阪神に比べれば少なかった。その阪神はリーグ断トツの219本塁打が奏功して優勝した。反面、大洋は最少の132本。当時の横浜スタジアムは最も広く、フェンスも高く、本塁打が出にくい球場だった。ゆえに近藤は機動力を武器にした「トリオ」を形成した。とはいえ、長打力不足は最後まで埋まらなかった。
「足を使っていくという、近藤さんの考え方は正しかったと思いますよ。当然、僕らが塁に出たら警戒されて、牽制も多かったですけど、相手はとにかくフォアボールで出すのを嫌がってましたね。打たれるのは仕方がないと、どんどん勝負にきて。だから打ちやすかったといえば打ちやすかった。ただ、もう少しホームランバッターがいてくれると楽でしたね」
最終的に高木は打率.318、出塁率.416で42盗塁。加藤は打率.280、出塁率.350で48盗塁。そして屋鋪は打率.304、出塁率.366で前年4本塁打が15本と激増し、58盗塁。「3人で120個」という近藤の期待を超え、148個。チームでは188盗塁でリーグ1位となり、機動力が売りの広島より10個多く、得点は前年比で105点増えた。しかし"投手力不足"で失点も増え、4位に終わった。
「頭数はいましたけど、巨人のピッチャーと比べると球速が10キロぐらい違いました。それを僕らが打っていって、向こうは10キロぐらい遅い人たちを打つんだから、ちょっとハンデあるよなって感じていましたね。広島のピッチャーも速かったし。遠藤(一彦)さんぐらい速い人が3〜4人いてくれたら全然違ったと思いますけど......。辛かったですね、バッターとしたら」
投打のバランスは悪くとも、スーパーカートリオで"走る野球"が定着。「これからはスピードの野球だ」という信念のもと、1985年オフ、近藤は4番のレオン・リーを放出した。決して不振ではなく、同年は打率.303、チームトップの31本塁打、110打点。それだけに評論家に叩かれたが、近藤はレオンに関して、元来の併殺打の多さ、犠飛の少なさなどを理由に挙げた。
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