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命の危険を感じていた田中正義の剛球 紐が切れかけたミットを見て感じた「本当にやばい投手」の条件 (4ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

「よくこんなボール、毎日捕れるね」

 横で見ている捕手の賀部秀平(当時4年)に声をかけたのは、最初の1球で骨にダメージを受けてしまい、ミットの中の手のひらを癒すための「時間稼ぎ」なのだ。

 初球をなんでもないフリをして、まあまあの捕球音で受けたから、2球目からは遠慮も加減もない。本気のボールが次々とミットへ向かって飛んできた。

「テイクバックから腕の振りまでがちょっと忙しくなってしまうので、大谷(翔平)投手みたいに、ひと間あってからズバッといけるようになれば......」

 そう課題を口にしていた田中だったが、受けるほうからすれば、この忙しいリズムのほうが捕りづらい。今日は逆球も多い。右打者の外角に構えれば、ボールは平然と内角へ飛んでくる。とはいえ、その逆球がまた強烈だ。バットを粉砕しそうな威力がある。気づけば、ミットの網を留めている紐が切れかかっていた。

 どれほど威力のあるボールでも、逆球ばかりでは納得がいかない。田中の顔には、そう書いてあるように見えた。ソフトバンクのスカウト4人が並ぶ光景に緊張していたのは、じつは私よりも田中だったのだろう。ドラフト直前のこのブルペンは、いわば最終面接の場だ。

 投球後、彼はこんな言葉を口にした。

「みんなが注目するなかで結果を出さなきゃいけない。そのプレッシャーは乗り越えたいなと思っているんです」

 もう30球近く投げてもらっただろうか。締めの1球をお願いする。

「オレが一生忘れないようなスゴいやつな!」

 思いっきり大きく体を開き、長い右腕がガバッと来たが、勢い余って引っかけた速球が左打席のほうへ吹っ飛んできた。「うわっ」と思って、目一杯伸ばした左手のミットが「バーン!」と引っ張られ、手首ごと吹っ飛ばされたかと思った。もちろん、今でも左手は無事なのだが、それぐらいの衝撃だった。

 その時の縁もあってか、田中は2016年ドラフトで5球団競合の末、ソフトバンクに入団。ただ、6年間で34試合の登板にとどまるなど、本来のポテンシャルを発揮することはできなかった。

 しかし2023年、近藤健介の人的補償として移籍した日本ハムで大ブレイク。「正義執行」の名の下、ブルペン陣に欠かせない存在となった。彼の活躍を見るたびに、あの日の左手のしびれがよみがえる。


田中正義(たなか・せいぎ)/1994年7月19日生まれ、神奈川県出身。投手。創価高では1年夏に背番号1をつけるも、右肩痛の影響もあり、主将となった2年秋から主に中堅手として試合に出場し、3年夏の西東京大会4強。創価大で投手に専念し、3年春秋ともに6勝0敗で秋は防御率0.00。東京新大学リーグでMVP1度、最優秀投手賞3度、ベストナイン3度受賞。5球団競合の末、2016年ドラフト1位でソフトバンク入団も、6年間で34試合の登板にとどまり、2023年、近藤健介の人的補償として日本ハムに移籍。同年、守護神に抜擢され25セーブを挙げる活躍を見せるなど、チームのブルペン陣に欠かせない存在となっている。

著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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