【プロ野球】パドレスのトッププロスペクトがなぜ日本へ? 2度の手術を乗り越えたオリックス・エスピノーザの逆転人生 (2ページ目)
「一番大きいのはメンタリティだね。日本にはすばらしい投手がたくさんいて、本当にレベルが高い。そういう環境にいると、『自分も彼らと同じか、それ以上になりたい』と思わされるんだ。そういう競争意識が、フォームや制球力をさらに磨こうという原動力になる」
投球割合の半分を占めるツーシーム(シンカー)を軸とするスタイルや、ヒーローインタビューで「まいど、エスピで〜す。応援おおきに、ありがとうございます」という日本語をまじえた受け答えでお馴染みのエスピノーザだが、来日前は紆余曲折のキャリアを送った。
【トッププロスペクトを襲った試練】
ベネズエラのバリオという経済的に恵まれない地区で生まれ育ち、2014年に16歳でレッドソックスと契約。2年後のシーズン途中にパドレスへ移籍し、翌年には球団のプロスペクトランキング1位に選ばれるほど期待を寄せられた。
だが同年、トミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)で全休する。1年に及ぶリハビリで復帰するも、2019年、2度目の同手術を受けた。
19歳から21歳にかけた長期離脱は、どれほど辛かったのか。エスピノーザは苦しかった当時を振り返った。
「本当に辛かったよ。当時、自分にはメジャーに昇格するという大きな夢があった。あの頃、サンディエゴ・パドレスのトッププロスペクトだったからね。自分自身に大きな期待を抱いていたし、周囲からの期待も大きかった。コーチ、GM、球団関係者のみんなが、『こんな投手になるはずだ』と夢見るような投手になると思われていたんだ。だから、『なんでこんなことが起こるのか......』と感じたよ。
でも、あの出来事は起こるべくして起こったと思う。あの経験があったから、『このままではダメだ』と気づくことができたんだ。もっと別の努力の仕方が必要だった。もっと規律を持たなければいけなかった。食事も変えなければいけなかったし、トレーニングも、休み方も変えなければいけなかった。
2017年と2019年に経験した苦しい時期と、その後の長い道のりが現在の自分をつくってくれたから、今はすべてに感謝している。もしあの出来事がなかったら、今ここにいなかったかもしれない。今は自分をどうケアし、準備すべきか。その"コツ"がわかっている。でも、当時は本当にきつかったよ。たくさん泣いた。夜、眠れないことが何度もあった。ひたすら考え続けていた」
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