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渡辺久信が明かす西武黄金時代 個人タイトル獲得は清原和博のおかげ「清原様々でした(笑)」 (2ページ目)

【フロントと現場の風通しのよさが重要】

 渡辺さんは、監督としては2008年に日本一を達成したあと、GMとして編成トップを担った。

「どちらも大変でしたよ」

 それぞれ違う大変さがあったと言うが、両ポジションで徹底したのが、フロントと現場の風通しのよさだった。「フロントと現場は、ある意味一蓮托生」と渡辺さんは言う。

 現場からの要望を聞くことや意見交換はもちろんしていたが、GMとしてはやらないようにしていたことがひとつあるという。

「現場に対して、こちらからとやかく注文を出すことをやめました」

 その理由は自分が監督をしていたころに、会社側からの注文が「ためにならないこともあった」と感じたからだ。現場にいる人間と外から見る人間とでは、見えているものが違う。その両方を経験したからこそ、口出しをしないスタイルを選んだ。

【「常勝軍団」を目指したGMとしての理想】

 GMとして渡辺さんが描いていたチームの完成形は、「1年だけポッと強いチーム」ではなく「常に優勝争いができる常勝軍団」だった。

 そのためにもドラフト戦略は「1番大事だった」と語る。

「西武には幸いにも優れたスカウト陣がいたので、彼らが2、3年かけて見てきた選手がたくさんいました」

 ドラフトにかかるような選手は今の時代、どの球団のスカウトも幅広く見ているため、昔でいう隠し玉的な存在は育成選手だという。

「そういう選手が支配下選手になって活躍してくれたら面白いですし、日本を代表するような選手になったら面白いと思う」

【Profile】
渡辺久信(わたなべ・ひさのぶ)/1965年8月2日、群馬県出身。 1983年ドラフト1位で西武に入団。最多勝3回、最高勝率1回、最多奪三振1回を記録するなど、10度のリーグ優勝、6度の日本一に貢献した。2004年から二軍投手コーチとして西武に復帰すると、二軍監督を経て2008年から一軍監督に就任。1年目にチームをリーグ優勝、日本一に導く。その後SD、編成部長、GMを歴任。2024年シーズン途中からはGMと兼任で監督代行を務め、その年限りで退団。

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