【プロ野球】「もう長いイニングはあかん。おまえはうしろで...」 岡田彰布が明かす藤川球児の転機とJFK誕生の真実 (5ページ目)
原則、「右、左、右」でいきたいという考えもあった。それに藤川から久保田とつなぐと、ボールに勢いのある投手がつづき、相手打者の目が慣れやすい面もある。そこで変則左腕のウィリアムスをはさみ、相手の目先を変える。相手打線の右、左の並びによって、ウィリアムスが7回に行く例外も想定したうえで2005年を迎えた。
2月、沖縄・宜野座キャンプ。岡田はマスコミの前で繰り返し「コマジン」と言っていた。なにかと思えば、横浜(現・DeNA)の佐々木主浩にあやかり、藤川の背番号を22に変更していた。「大魔神まではいかないけど『小魔神』や」というのが岡田の言い分だった。そのニックネームに対するマスコミの反応は鈍かったが、この年、小魔神は大魔神に匹敵する存在になった。
(文中敬称略)
岡田彰布(おかだ・あきのぶ)/1957年11月25日生まれ、大阪府出身。北陽高から早稲田大を経て、80年のドラフトで阪神から1位指名され入団。勝負強い打撃を武器に、阪神の主力として長く活躍。85年のリーグ優勝、日本一にも貢献。94年にオリックスへ移籍し、95年に現役引退。引退後は指導者としての道を歩み、2004年に阪神の監督に就任。05年には強力リリーフ「JFK」を擁してリーグ優勝。10年から12年までオリックスの監督も務めた。23年に阪神の監督へ復帰すると、18年ぶりのリーグ優勝、さらに38年ぶりの日本一へと導き、采配力と勝負師としての資質をあらためて証明した。24年限りで監督を退任し、オーナー付顧問に就任した。
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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