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【プロ野球】「もう長いイニングはあかん。おまえはうしろで...」 岡田彰布が明かす藤川球児の転機とJFK誕生の真実 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

「どっちかいうたら、先発失格みたいなケースやったよね。最初、藤川は2002年に先発やった。オレが二軍監督の時、夏ぐらいやったかな......。『右の若いので、先発いけんのおらんのか?』って星野さんが言うたんよ。その時に『藤川は?』って聞かれたけど、『もう先発させてませんよ』と言うたんや。本人には『もう長いイニングはあかん。おまえはうしろで、短いイニングで勝負せえ』って言うてたしな」

 背番号30から、名前の「きゅうじ」にちなんだ92へ変更した2002年。藤川は12試合に先発し、9月にはプロ初勝利を挙げたものの、成績は1勝5敗。68イニングを投げ、防御率3.71だった。

 左足を上げた際に必要以上に軸足(右足)を折るフォームが原因で、肩やヒジに負担がかかり、故障しがちだった。その影響もあり、翌2003年は17試合登板で先発は2試合にとどまり、優勝には貢献できなかった。新人ながら26試合に登板して5勝を挙げた久保田とは、対照的なシーズンだった。

「藤川は先発しても、いつも5回ぐらいでやられとった。それに故障もあったしな。久保田は1年目から投げとったけど。そういうことがあって、やっと故障も治って、8月にテストできたんや。二軍では短いイニングを投げとったけど、一軍ではそれがスタートやったんとちゃうかな。アテネのおかげでね」

 藤川は、故障が治っただけではなかった。2004年の春先、肩痛で二軍に降格した際、二軍投手コーチの山口高志から指導を受けた。

「もともと体は柔らかいのだから、軸足を折らずに、左足をスッと上げたらそのまま前に出ていくくらいの意識でいいんじゃないか?」

 この助言を受けてフォームを改良。上半身への負担が減り、テークバックで力が抜け、球速は5キロほど上がった。岡田もその成長を実感していた。

「ボールはよかったよ。井川が入って(1997年ドラフト2位)、次の年に藤川が入って(98年同1位)、対照的というかな。重そうなボールを投げる井川と、スピンがかかる藤川。ボールの質は全然違ったけど、高校生で期待されて、ドラフト上位で入ったピッチャーやったから、それはもうボールはよかった。まあ藤川、(体の)線はめっちゃ細かったけどな、最初は」

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