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【プロ野球】「もう長いイニングはあかん。おまえはうしろで...」 岡田彰布が明かす藤川球児の転機とJFK誕生の真実 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

「2003年のリリーフは、ウィリアムスと安藤(優也)、吉野(誠)やったな。ただ、3人って決めてなかったんや。最後はウィリアムスやけど、まだホールド王のタイトルがなかったからな。それで監督を引き受けた時、投手は編成替えせなあかんなと思ってた。年寄りばっかりやったからな。伊良部(秀輝)、藪(恵壹)、下柳(剛)......たぶん3人で100歳超えとったと思うよ(笑)」

 勇退した星野に代わって、岡田が監督に就任した2004年、伊良部は35歳、藪、下柳は36歳。2003年は24歳の井川慶が20勝で最多勝、MVPに輝いたなか、そのベテラン3人で計31勝を挙げていたが、案の定、2004年は3人で計13勝に終わることになる。

 野手のほうは、36歳の4番・金本知憲が元気だったうえ、内野手の関本健太郎が高校出8年目で台頭し、ドラフト1位ルーキーの鳥谷敬が即戦力。どちらかと言えば、投手の「編成替え」が急務だった。それでも周りからは連覇を期待され、それなりの補強もして臨んだシーズン。混戦のセ・リーグで5月には首位に立ったが、夏場まで勝率5割をキープするのが精一杯だった。

「それと、2004年は8月にアテネがあったからな、オリンピックが。均等に各チーム、ふたり出したんや。ウチは安藤と藤本(敦士)を出したけど、オーストラリア代表でウィリアムスも持っていかれたんや。それで、うしろがふたり抜けたから、ちょうどええわと思って、久保田と藤川をそこに当てはめたというかな。まあ言うたら、来年用のテストケースみたいな感じやった」

 7月28日、首位を走る中日に敗れ、8.5ゲーム差とされた試合後、岡田は「もうタイムリミットや」と発言。連覇を目指すよりも、来年勝つためのチームづくりに取りかかった。

【「もう先発させてませんよ」】

 この時、アテネ五輪の日本代表となった安藤、ウィリアムスの代役に久保田、藤川を抜擢。この年、6試合に先発していた久保田はもとより、本来、藤川も先発候補だったから、抜擢は配置転換でもあった。

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