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野村克也のひと言から始まった高津臣吾のクローザー人生「おまえ、シオザキの球、投げれんか?」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 一方、髙津は13登板で1勝1敗。その1勝は9月に先発完投で挙げたものだったが、岡林の活躍をどう見ていたのか。

「すごく意識しましたね。大学の頃から同じリーグ、敵としてずっと見てきたので、岡林のすごさもよく知っていましたから。このぐらいのコントロールがあれば、このぐらいのスピードがあれば、このぐらいの変化球があれば、こうしてプロでやっていけるんだなと思ったのが、いい目安になったかもしれない。反面、ちょっと悔しい思いももちろんありながらでしたけど」

 翌92年、岡林は先発に回って15勝。14勝を挙げた西村龍次とともに二本柱となり、野村ヤクルト初のリーグ優勝に貢献する。髙津も先発として前半で5勝を挙げたが、後半はリリーフ。3勝4敗で西武に敗れた日本シリーズでは髙津の登板機会はなく、岡林は3完投で敢闘賞を受賞。意識する相手に差を付けられた形だが、シリーズ後、髙津は野村から要請を受ける。

【潮崎のシンカーがもたらした転機】

「宮崎の西都で秋季キャンプに入った時、『おまえ、シオザキの球、投げれんか?』って、野村監督に言われたんです。日本シリーズで徹底的にやられた潮崎(哲也)っていうのを見てね、僕が同じような投げ方をしてたっていうところで。そこがスタートでしたね」

 髙津と同じサイドスローの潮崎が投げる遅いシンカーに、野村は着目していた。日本シリーズでヤクルト打線が翻弄されたボールだった。ただ、ヤクルトの3勝のうち2勝は、いずれも最終回に潮崎から放った本塁打が決勝点。決して、手も足も出なかったわけではない。だが、逆に潮崎に2つのセーブを献上し、徹底的に抑え込まれた印象のほうが強かったのだ。

「常識としてなかったですよね。遅い球を投げて抑える、っていうことが。ただ、たしかに潮崎のシンカーは遅かったですけど、真っすぐは150キロ近い強い球を投げていて、同じ腕の振りで110キロ前後のシンカーがくる。だからまったく打てない。その遅い球がまったく打てないっていうのを目の当たりにして、野村監督がそう言ったと思うんです」

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