【野球】日大三高出身の選手も! ドミニカで見つけた3人の日本人プレーヤー 「彼らはなぜこの地にたどり着いたのか」 (4ページ目)
2024年限りでアメリカのビザが切れるタイミングで、初めてドミニカを訪れた。お試しのバケーションで2カ月間暮らしたのは、ドミニカ中央部にあるラ・ベガ州。大分B−リングスで同僚だったドミニカ人選手を頼り、その彼女の実家に住ませてもらった。
「ものすごく田舎で、ジャングルで生活するような感覚でした(笑)。僕はスペイン語を片言で単語を並べて話すだけですが、意思疎通は軽くできる感じです」
新井と話していると、とにかく生命力を感じる。海外で生きていくには、何より欠かせない能力だ。
「僕は32歳という年齢もあるので、どこかでプレーヤーとして区切りをつけなきゃいけないと思っているけど、やれる限り挑戦してみようと思っています」
アメリカの独立リーグやドミニカのサマーリーグは、決して華やかな舞台ではない。周囲の日本人は決まって、「なぜそこまで苦労して野球を続けるのか」という目を向ける。
「単純に野球が得意なので。野球でここまで生きてきたので、これを仕事にしたいなと思って野球をしています」
ハードルは低くない。一定の実力に加え、労働ビザの取得や、野球を続ける費用の捻出も不可欠だ。
「生活費や医療費もありますし、お金がかかるなって。海外の生活はそうかもしれないですね」
新井はメジャーリーガーではなく、安定や高収入とは無縁だ。それでも、海外で得られるものが多くある。
「お金は毎回ギリギリになるけど、その都度、素敵な出会いがあって、なんとか保っているという感じです。やっぱり出会いが、僕の喜びかもしれないですね」
ドミニカの野球の魅力をどう感じていますか? 新井に聞くと、その答えにハッとさせられた。
「すごく難しいですけど、僕はあまりここの野球に魅力を感じてはいないんですけど(笑)。でも魅力って、金額的にいいお金がもらえる。日本の独立リーグより多くもらえるのが魅力だと思います」
ミールマネー程度しかもらえないドミニカのサマーリーグだが、世界最高峰の同国ウインターリーグにスカウトされるチャンスがある。それをつかめば一定以上のサラリーが得られ、その後はアメリカやメキシコ球界につながる道も見えてくる。
そう、プロ野球選手として大きな勝負をできる舞台があるから、彼らは日本から遠く離れた地まで来てチャンスを求めているのだ。
著者プロフィール
中島大輔 (なかじま・だいすけ)
2005年から英国で4年間、当時セルティックの中村俊輔を密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『山本由伸 常識を変える投球術』。『中南米野球はなぜ強いのか』で第28回ミズノスポーツライター賞の優秀賞。内海哲也『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』では構成を担当。
フォトギャラリーを見る
4 / 4

















































