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WBCで大谷翔平から三振を奪った唯一のアマチュア・サラリーマン選手 チェコ代表、オンドジェイ・サトリアの今 (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

【引っ越しが導いた野球との出会い】

「ほら、あそこにオレンジ色のアパートが見えるだろ。あれが、僕が野球を始めたきっかけの場所なんだ」

 球場を見下ろす古い建物をサトリアは指さした。彼の名前を覚えている人は、もはや少ないかもしれない。しかし2年前の春、彼はたしかに時の人となった。あのメジャーリーグのスーパースター、大谷翔平(ドジャース)から唯一、アマチュア選手として三振を奪ったからだ。

 5歳までベースボールをまったく知らなかったサトリア少年が野球と出会ったのは、引っ越しがきっかけだった。かつて鉄鋼の町として栄えたオストラヴァ郊外の小さな町から、一家は町外れの無機質な集合住宅が立ち並ぶ一角へと移った。

 自然豊かなこの国では、子どもたちは家でゲームをするよりも屋外で体を動かすことに親しむ。サトリア少年も人気のサッカーをはじめ、さまざまなスポーツに勤しみ、最終的に野球を選んだ。

「目の前に球場があって、選手たちを見て育ったんだ。幼い頃はチェコで人気のアイスホッケーもやってみたけど、野球のほうがエキサイティングだったね」

 アローズのジュニアチームのユニフォームに袖を通したサトリアは、以来23年、このチームでプレーし続けている。

 WBCチェコ代表の投手であるサトリアだが、幼少期のスターは、ボストン・レッドソックスなどで活躍したマニー・ラミレスだったという。「世界のオオタニ」からWBCという大舞台で三振を奪った彼は、もともとは外野手だった。

 そんなサトリアが、指導者から投手転向を打診されたのは8年ほど前だった。

「代表チームでは10年くらい前からプレーするようになったんだけど、打力がイマイチだったんだ。守りはそこそこよかったんだけどね。でも、僕にとってはビッグチャンスだととらえて、ピッチャーになったんだ」

 東京ドームで披露した最速127キロのストレートからして、外野手として特別肩が強かったわけではなさそうだ。今となっては、「打てない外野手」に投手転向を勧めた指導者の意図は知る由もないが、当時は「勝ちパターンのリリーフ」など夢のまた夢だった。

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