山本由伸はセットアッパーから球界のエースへ 高山郁夫が語る若手の躍進を支えた福良淳一の眼力と人間力 (3ページ目)
── 福良さんを慕う関係者は多いですね。
高山 福良さんの人間性がすべてじゃないですか。言葉数は決して多い方ではないですが、些細な相談でも練習でも、親身になって付き合ってくれる方です。私は2015年、森脇浩司監督がシーズン途中で退任された時、森脇監督から誘ってもらった身としては球団に残る選択肢はありませんでした。しかし、監督代行になった福良さんから「待て、早まるな」と声をかけていただいて。すごくうれしかった記憶があります。
── 2018年は4位に終わり、福良監督が退任。2019年、2020年も最下位と、苦しい状況が続きました。
高山 正直、福良監督の退任はショックでしたし、まだまだ現場で一緒に戦いたいという思いが強かったです。
── そんななか、山岡泰輔投手が中心投手として活躍し、2019年には13勝と獅子奮迅の働きを見せています。
高山 その年は、最高勝率のタイトルを獲りましたし、シーズンフルで頑張ってくれました。プロ野球選手としては、決して恵まれた体とはいえないですが、並進運動する際の左足の使い方が独特で、推進力とねじりを生み出しながら、小さなエンジンでも質の高いボールを投げ分けます。キレている時のスライダーは、打者からすると「接点がない」と感じるはずです。
── また、福良監督は退任後、GMとしてチーム編成に尽力しています。福良GMになって、チームに変化は感じましたか?
高山 ドラフト会議の指名選手を見ても、以前までよく指名していた社会人の選手の比率が下がったように感じました。即戦力を獲得することはもちろん大事ですが、素材型の選手を数年かけて育てることも大事。福良さんがGMになってから、チームとして目指すべき方向性が明確になったように感じます。
── 素材を育てる重要性はわかっていても、実際には育てられる球団と育てきれない球団に分かれるように感じます。両者の違いはどこにあるのでしょうか。
高山 想像は何となくできますが、その違いはよくわかりません。オリックス球団は福良GMが先頭に立ち、フロントと現場が一枚岩となって「勝利と育成」の両立に向け、突き進んでいることは確かだと思います。
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。
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