「ミスター、どうして僕をドラフトで指名してくれたんですか?」篠塚和典が長嶋茂雄に聞いておきたかったこと (2ページ目)
【リハビリ、回復した姿を見せていた理由】
――長嶋さんは2004年に脳梗塞で倒れ、以降は長く過酷なリハビリが続きました。前向きにリハビリに励む長嶋さんの姿は、篠塚さんの目にどう映っていましたか?
篠塚 頑張るとか、あきらめないというのはミスターのモットーでもありましたし、オリンピックの野球日本代表でもう一度指揮を執りたいとか、ゴルフをやりたいとか、そういう思いがあることも聞いていました。多摩川のゴルフ練習場に行って、片手で練習もしていたようですし、強い気持ちをもってリハビリに取り組んでいたと思います。
その成果もあって、なんとか歩けるまで回復していましたし、「人前に出なければいけないんだ」という気持ちで頑張っていたと思うんです。少しでも動けるようになったら、リハビリの途中でも積極的に球場に足を運んだりしていましたから。ただ、年齢を重ねて思うように体が動かせないこともあったと思いますが......そこは仕方ないですよね。
――2022年には脳出血で入院しましたが、その際も復活してファンの前に元気な姿を見せてくれました。
篠塚 リハビリに取り組む姿や元気に回復した姿を見せることで、同じ病気の方々を励まそうとしていたと思います。それと、ミスターの出身地である千葉県佐倉市で秋に行なわれている「長嶋茂雄少年野球教室」では、ご本人が子供たちを指導している期間(2014~17年)もありました。その時はみんなと一緒に球場内をぐるぐる回りながら、子供たちに声をかけていましたよ。
グラウンドに戻るという気持ちは強かったはずですし、それを励みにリハビリに取り組んでいたと思います。自分もそんなミスターの熱い思いを感じ、野球教室の第1回から子供たちに野球を教えてきました。
――長嶋さんと最後にお会いしたのはいつですか?
篠塚 昨年8月に、定岡正二さんと一緒にお見舞いに行ったのが最後です。その前には、長嶋さんが東京ドームに足を運ばれた際に、僕が解説などの仕事でドームにいることもあって、そこで顔を合わせたりしていました。「お元気ですか?」とご挨拶する程度ではありましたけどね。球場に来られているときは、お体の状態がよかったです。
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