屋鋪要は関根潤三の育成術を令和でも通用すると断言「怖かったけど、理不尽ではなかった」 (3ページ目)
前編で詳述した「地獄の伊東キャンプ」に見られるように、屋鋪にとって関根は「厳しい監督」だった。けれども、決して「理不尽な監督」ではなかった。もちろん、暴力を振るわれたこともない。いわゆる「鉄拳制裁」を経験したこともない。それでも、関根は本当に厳しく、怖い監督だった。関根の指導によって、自分はプロの世界で生き抜くことができた。それが可能となったのは、屋鋪が口にした「本当の愛情」があればこそだった。
【未来を見据えていた】
あらためて、屋鋪に問う。「関根流指導術は、令和の現在でも有効なのか?」と。その答えはまったく迷いのないものだった。
「もちろん通用すると思いますよ。少なくともプロ野球選手は、最初から厳しい世界だということを理解して、この世界に入ってきています。理不尽な暴力や愛情のない指導であれば反発する選手も出てくるとは思うけど、関根さんはそんな指導はしていませんでしたからね」
生前の関根が発表した『若いヤツの育て方』(日本実業出版社)において、「練習では怒ってもゲームでは絶対に怒らない」と述べている。「試合でミスしたのは、指導が足りなかった自分の責任である」と述べたあとに、こんな一節がある。
<だからこそ、練習では厳しく当たった。若い選手にとって練習は、一生の財産となる基本を学ぶ場である。ここで自分に甘えることを覚えたら、大事な場面でつまらぬミスをするような二流の選手で終わってしまう。>
関根に育てられた選手たちは、異口同音に「監督は本当に厳しかった、怖かった」と口にする。それでも、「試合でのミスは決して怒られなかった」とも語っている。それは屋鋪も同様だ。
「関根さんが監督になってから、どんなに結果が出なくても怒られることはなかったし、試合に出られないこともありませんでした。だから、結果を恐れずにプレーすることができました。たとえその日が4タコ(4打数0安打)でも、『明日、2本打てばいいや』と思うこともできました。そうなると、ベンチではなく自分との戦いになってくるんです。自分さえきちんと成績を残すことができれば、レギュラーを奪われることはない。そんな感覚でプレーできるようになったのが、関根監督時代のことでした」
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